2007年10月31日
モンドール病
ここ何日か前から、左の胸、心臓のあたりがやけに突っ張るのでおかしいなとは思っていたら、わかりました。
モンドール病でした。
モンドール病、皮下静脈またはリンパ管の炎症らしく しこりが2cmほどの帯状になってました。
女性に多くでるらしい。
胸を反ったりすると痛い。
モンドール病でした。
モンドール病、皮下静脈またはリンパ管の炎症らしく しこりが2cmほどの帯状になってました。
女性に多くでるらしい。
胸を反ったりすると痛い。
2007年10月31日
無事終わりました
緊張の一時間半でした。守山での講座。
参加者にC型肝炎チェックシートを配り記入してもらったあと、皆さんにクイズ。
毎日100人と聞いて何を連想するか聞いてみました。
反応はなかったんですが、肝臓癌や肝硬変で亡くなる人が一年間で45000人。その7割がC型肝炎。つまり一日100人がC型肝炎で亡くなっている。鳥インフルエンザなんかで毎日100人が亡くなりつづけていたらパニックになっているのに、なぜ肝炎で亡くなっていても騒がれないのかと説明するとメモを取る人があちこちに。
薬害肝炎訴訟全国弁護団制作のDVD「夢をかえして」を観てもらいました。
そして、私が体験したC型肝炎闘病記を紹介しました。
2003年の9月から2005年の5月までのインターフェロン治療。副作用との闘い。患者会の発足とその活動、患者に対する偏見や差別の実例を時間の有る限り話しました。
皆さん本当に真剣に聞いていただきました。
患者会からも一人、駆け付けてくださり、とても心強かったです。
参加者にC型肝炎チェックシートを配り記入してもらったあと、皆さんにクイズ。
毎日100人と聞いて何を連想するか聞いてみました。
反応はなかったんですが、肝臓癌や肝硬変で亡くなる人が一年間で45000人。その7割がC型肝炎。つまり一日100人がC型肝炎で亡くなっている。鳥インフルエンザなんかで毎日100人が亡くなりつづけていたらパニックになっているのに、なぜ肝炎で亡くなっていても騒がれないのかと説明するとメモを取る人があちこちに。
薬害肝炎訴訟全国弁護団制作のDVD「夢をかえして」を観てもらいました。
そして、私が体験したC型肝炎闘病記を紹介しました。
2003年の9月から2005年の5月までのインターフェロン治療。副作用との闘い。患者会の発足とその活動、患者に対する偏見や差別の実例を時間の有る限り話しました。
皆さん本当に真剣に聞いていただきました。
患者会からも一人、駆け付けてくださり、とても心強かったです。
2007年10月29日
いよいよ
え? なにがって?
私が肝炎を演題にして講演するのが、明日なんです。
守山市人権講座は毎年、6月ごろから11月ごろまでの間、12回の講座が開かれていて、毎回、部落問題、障害者問題、女性問題など人権課題について講演会形式、参加体験型、コンサート、落語会、朗読劇など趣向を凝らして、人権についてみんなで考えていこうと企画されています。
明日は今年の講座の10コマ目で、「あなたは大丈夫ですか?C型肝炎」というタイトルをつけさせてもらいました。
19時30分から21時00分まで。
守山市矢島町にある守山地域総合センターが会場です。077-585-4822
厚生労働省のズサンな肝炎患者データ隠しが連日新聞やテレビで話題になっているので、少しばかり話しやすいかなと思ったりしてるんですが、関心がなければいくら新聞やテレビで取り上げられていても右から左の人が多いのではないかと思ったりもしてます。
どこまで伝えられるか全くの未知数なんですが、自分自身の体験、患者会で出された体験を織り交ぜながら、一人でも関心を抱いてくれる人が現れたら幸いだと考えています。
2007年10月26日
今夜7時から
「9・29教科書検定意見撤回を求める沖縄県民大会」参加報告会をおこないます。
雨模様ですが、お気軽にお立ち寄りくださいませ。
11万人が参加した歴史的、画期的な集会の模様を報じる翌日の新聞「琉球新報」を読むドラ息子です。
2007年10月24日
沖縄県民大会報告会
9月29日、11万人の参加で大成功を収め、教科書の改ざんを許さない声を高らかに宣言した沖縄県民大会に参加してきました。
その報告会を
10月26日(金)19時から
草津市野村の草津市人権センターでおこないます。
大会の様子を撮ったビデオも映します。
お気軽にご参加ください。
またこの日、辺野古や高江の基地建設反対の現場に行ってきた方からの報告もあります。
ぜひお立ち寄りください。
その報告会を
10月26日(金)19時から
草津市野村の草津市人権センターでおこないます。
大会の様子を撮ったビデオも映します。
お気軽にご参加ください。
またこの日、辺野古や高江の基地建設反対の現場に行ってきた方からの報告もあります。
ぜひお立ち寄りください。
2007年10月23日
2007年10月23日
想像できないんでしょうか
もし自分がとか、大切な人がとか、愛する家族がとか
自分に責任のない肝炎に感染していたら
一日でも早く知らせてくれたら助かった命があったのに
なんて、想像できないんでしょうか
国や製薬会社は。
自分に責任のない肝炎に感染していたら
一日でも早く知らせてくれたら助かった命があったのに
なんて、想像できないんでしょうか
国や製薬会社は。
2007年10月21日
反戦集会……………それと
今日は午後1時から、京都・円山公園で反戦平和を願う集会が幅広い呼び掛け人や賛同人で開かれます。
お時間都合つく人はぜひ参加してみては。
私は残念ながら今日は仕事です。参加できません。
それにしても不思議なんです。
酒に酔った勢いで、女性に痴漢行為を働いて反省もしない人が、市民の個人情報をその地位を悪用して手に入れ、自分の後援会の拡大のために使うなんて。
ふつうありえます?
こんな人をいつまでも市会議員にさせてちゃいけませんね。
お時間都合つく人はぜひ参加してみては。
私は残念ながら今日は仕事です。参加できません。
それにしても不思議なんです。
酒に酔った勢いで、女性に痴漢行為を働いて反省もしない人が、市民の個人情報をその地位を悪用して手に入れ、自分の後援会の拡大のために使うなんて。
ふつうありえます?
こんな人をいつまでも市会議員にさせてちゃいけませんね。
2007年10月20日
外は雨、心は快晴
福井駅前に最近出来た複合施設の一階ロビーに、待ち合わせの時間通りに、彼女はやってきました。
右手に4歳の息子を、左手に2歳の娘をつないで。
限られた時間は一時間ほどしかないので、4階のミーティングルームみたいなフロアーに移動。
2年前、外食産業で働く旦那さんの転勤で福井に引っ越してきたこと、その転勤もある日、一週間後に転勤、引っ越しをするようにと言われたもので、こんなやり方おかしいと嘆いておられました。ただ、福井は緑が多く、それはそれで子育ての環境にはよいとも。
日本に来て17年。その間、外国人だということでさまざまな嫌がらせや差別、偏見を受けたことを話されました。
外国人だからと家賃2万円で、トイレも風呂も共同のかなり古いアパートを借りる時も保証人でトラブルがあった。
指定の日と違う日に出されていたゴミをわざわざ私の部屋の前まで持ってきて、ゴミだしの日は守りましょうと大きく書いた紙を添えて注意された。私が出したゴミではないのに。外国人はルールを守らないという思い込みや偏見があるのでは。
外国人の友達がほしいと近付いてきて、英語で話し始めて、私は英語よりも日本語の方がもっと話せますよと言った途端、離れていった人もいたそうです。
何を期待しているんでしょうね。
現在通う子どもさんの保育所でもいろいろあるそうです。いっぱい聞きましたが、割愛します。
日本の歴史教育についても、私の国も隣りの国にひどいことをたくさんしました。侵略して有名な建物を壊したり、たくさんの人を傷つけたりしました。それは悲しいことです。でも二度と過ちを繰り返さないために教えられています。中国や韓国・朝鮮が侵略されたことを歴史から消されることに怒っているのは当たり前です。沖縄でも11万人の人が集会をし、歴史を消さないでくださいと声を上げるのは当然です、と。
ヨーロッパのどこそこに行ってきましたとか、アメリカのどこそこに行ってきましたとそれだけで国際人になったつもりでいるけれど、自分たちの国が過去に侵略した国の名前すら知らない人が多いのには驚いていますとも。
会えてよかった。
わずか一時間でこんなに意見交換ができるなんて思ってもいなかったです。
一か月前、突然メールを入れて、私のことを覚えてもらってたことがうれしかったし、私が無理難題を頼んでいたことにもキチンと応えていただいて感謝感謝です。
福井駅前から彼女の自宅まで車で送っている時間も惜しんでいろいろ話してくれました。
外は雨が降り続いていましたが、私の心の中は快晴でした。
えっ!
彼女の出身ですか?
先日、民主化を求めて大行動があり、日本人カメラマンが殺された、あの国です。
右手に4歳の息子を、左手に2歳の娘をつないで。
限られた時間は一時間ほどしかないので、4階のミーティングルームみたいなフロアーに移動。
2年前、外食産業で働く旦那さんの転勤で福井に引っ越してきたこと、その転勤もある日、一週間後に転勤、引っ越しをするようにと言われたもので、こんなやり方おかしいと嘆いておられました。ただ、福井は緑が多く、それはそれで子育ての環境にはよいとも。
日本に来て17年。その間、外国人だということでさまざまな嫌がらせや差別、偏見を受けたことを話されました。
外国人だからと家賃2万円で、トイレも風呂も共同のかなり古いアパートを借りる時も保証人でトラブルがあった。
指定の日と違う日に出されていたゴミをわざわざ私の部屋の前まで持ってきて、ゴミだしの日は守りましょうと大きく書いた紙を添えて注意された。私が出したゴミではないのに。外国人はルールを守らないという思い込みや偏見があるのでは。
外国人の友達がほしいと近付いてきて、英語で話し始めて、私は英語よりも日本語の方がもっと話せますよと言った途端、離れていった人もいたそうです。
何を期待しているんでしょうね。
現在通う子どもさんの保育所でもいろいろあるそうです。いっぱい聞きましたが、割愛します。
日本の歴史教育についても、私の国も隣りの国にひどいことをたくさんしました。侵略して有名な建物を壊したり、たくさんの人を傷つけたりしました。それは悲しいことです。でも二度と過ちを繰り返さないために教えられています。中国や韓国・朝鮮が侵略されたことを歴史から消されることに怒っているのは当たり前です。沖縄でも11万人の人が集会をし、歴史を消さないでくださいと声を上げるのは当然です、と。
ヨーロッパのどこそこに行ってきましたとか、アメリカのどこそこに行ってきましたとそれだけで国際人になったつもりでいるけれど、自分たちの国が過去に侵略した国の名前すら知らない人が多いのには驚いていますとも。
会えてよかった。
わずか一時間でこんなに意見交換ができるなんて思ってもいなかったです。
一か月前、突然メールを入れて、私のことを覚えてもらってたことがうれしかったし、私が無理難題を頼んでいたことにもキチンと応えていただいて感謝感謝です。
福井駅前から彼女の自宅まで車で送っている時間も惜しんでいろいろ話してくれました。
外は雨が降り続いていましたが、私の心の中は快晴でした。
えっ!
彼女の出身ですか?
先日、民主化を求めて大行動があり、日本人カメラマンが殺された、あの国です。
2007年10月19日
福井へ
いま、北陸自動車道の賤ヶ岳SAで時間調整で、車の中でパンをかじっています。
て、これから福井市内まで走ります。
2年前に会って、もう一度会いたいと思っていた人に会いに行きます。
日本に在住している外国人女性です。
昨日までとは打って変わってのこの雨、うらめしいよお
て、これから福井市内まで走ります。
2年前に会って、もう一度会いたいと思っていた人に会いに行きます。
日本に在住している外国人女性です。
昨日までとは打って変わってのこの雨、うらめしいよお
2007年10月17日
10月30日
守山市人権講座の第10講で
「あなたは大丈夫 C型肝炎」と題して
この私が1時間半、講演することになりました。
10月30日(火) 19:30~21:00
守山市矢島町にある守山市地域総合センターが会場です。
へへへ ちょっと宣伝しています。
参加は守山市民以外でもOKで~す!!!!!!!!!!!
薬害肝炎訴訟全国弁護団制作のDVD「夢をかえして」も上映します。
お近くの方は、ぜひお越しくださいませ。
そしてそして、私 つむぐをいじめてやってください(Mじゃないですよ)
「あなたは大丈夫 C型肝炎」と題して
この私が1時間半、講演することになりました。
10月30日(火) 19:30~21:00
守山市矢島町にある守山市地域総合センターが会場です。
へへへ ちょっと宣伝しています。
参加は守山市民以外でもOKで~す!!!!!!!!!!!
薬害肝炎訴訟全国弁護団制作のDVD「夢をかえして」も上映します。
お近くの方は、ぜひお越しくださいませ。
そしてそして、私 つむぐをいじめてやってください(Mじゃないですよ)
2007年10月15日
ちょっとおかしな感覚
11月4日、県内のある町で
人権フェスタなるものが開催されるそうです。
多文化共生が一応のコンセプトらしく
多彩な内容になっているみたいです。
でも、このフェスタ、どうやら
拉致問題をメインに押し出しているらしく
拉致被害者家族会の事務局長や
娘さんを拉致されたご両親を招いて
-娘を返せ 姉を返せ-
をテーマに講演会やら
拉致被害者救出のパネル展まで催すらしい
拉致は確かに誰が考えても犯罪だし
絶対に許してはならない大事件
でも、その拉致問題だけを取り上げて
いま、あなたの隣に、あなたと同じように
生活している在日コリアンが
なぜ日本にいるのかということを問題にしないのか
不思議でならない
強制連行 「従軍慰安婦」問題
何一つ解決していないし
できれば無かったことに
できればふれられないように
沖縄戦で軍命による「集団自決」が
無かったように歴史を改ざんするように
在日コリアンの問題を取り上げないように
そんな意図でもし 人権フェスタが
行なわれるようであるなら
それはもはや 人権侵害フェスタになるのではないか
「北朝鮮悪し」意識だけが芽生えるような
人権フェスタなんて どこかずれているのではないか
1986年6月9日 李 信子という女性が
わずか59歳で なぜ 滋賀の地で亡くなったのか
この町のフェスタ担当者は理解できますか
人権フェスタなるものが開催されるそうです。
多文化共生が一応のコンセプトらしく
多彩な内容になっているみたいです。
でも、このフェスタ、どうやら
拉致問題をメインに押し出しているらしく
拉致被害者家族会の事務局長や
娘さんを拉致されたご両親を招いて
-娘を返せ 姉を返せ-
をテーマに講演会やら
拉致被害者救出のパネル展まで催すらしい
拉致は確かに誰が考えても犯罪だし
絶対に許してはならない大事件
でも、その拉致問題だけを取り上げて
いま、あなたの隣に、あなたと同じように
生活している在日コリアンが
なぜ日本にいるのかということを問題にしないのか
不思議でならない
強制連行 「従軍慰安婦」問題
何一つ解決していないし
できれば無かったことに
できればふれられないように
沖縄戦で軍命による「集団自決」が
無かったように歴史を改ざんするように
在日コリアンの問題を取り上げないように
そんな意図でもし 人権フェスタが
行なわれるようであるなら
それはもはや 人権侵害フェスタになるのではないか
「北朝鮮悪し」意識だけが芽生えるような
人権フェスタなんて どこかずれているのではないか
1986年6月9日 李 信子という女性が
わずか59歳で なぜ 滋賀の地で亡くなったのか
この町のフェスタ担当者は理解できますか
2007年10月14日
1954年1月27日
1954年1月27日
53年前、私が生まれた日 である。らしい。
生まれつきの心臓疾患(心室中隔欠損)で
40代半ばまで持つかどうかと
子どもの頃に 診察に行った大学病院の
待合室で偶然聞いてしまった 私の寿命
小学校の時はそんなこと 微塵も思わなかったのに
中学校では何となく あと30年か と感じるようになっていたことを思い出す。
というのも、小学校の5年の夏休みから中学校2年の終りまで
敗血症をわずらい、ほとんど学校にも行けず
家とかかりつけの診療所を行き来する毎日だったので
ああ やっぱり あとどれくらい生きられるんだろうかと
子どもなりに悩んでいたこともあった
でも それはそれなりに子どもの考え
中学校の三年の秋には 全国で学園紛争 じゃなく 大学闘争がもりあがり、
新宿では「争乱」が起こり 日々、テレビに釘付けだった
正月を越し、高校への受験勉強の度最中では
いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」が大ヒットしていたし
東京大学では学生と機動隊の攻防が繰り広げられていたりして
時代が変わっていくのを目の当たりにしていたよう
高校に入り まもなく父親が病に倒れ やむなく中退して家業の手伝い
自分の寿命のことを考えると
一日も早く結婚して孫の顔を親に見せなければなんて
彼女捜しに
ま いろいろ縁あって 19歳で息子の顔が見られ、
22歳で娘の顔も見ることができた。
父親は息子の顔を見たあとに他界したが
それから30年
息子が高校生の時
「お父ちゃんとお母ちゃん別れるから」と告げたとき
息子の言葉が 効いた
「おとん、ひとりでやっていけるんか」
いまは15年前に知り合った彼女との生活が続いている
二人で泣いたこともあるし、私が彼女の前で大泣きしたこともある
まだまだ腹の中まで わかるような関係にはなっていないだろうけれど
いまの関係 つきあいを大事にして
子どもの頃に聞いた 寿命を超えてしまっているけれど
毎日毎日を 大切にしたいと思う今日この頃
ああ あと何年生きられるのかなあ
53年前、私が生まれた日 である。らしい。
生まれつきの心臓疾患(心室中隔欠損)で
40代半ばまで持つかどうかと
子どもの頃に 診察に行った大学病院の
待合室で偶然聞いてしまった 私の寿命
小学校の時はそんなこと 微塵も思わなかったのに
中学校では何となく あと30年か と感じるようになっていたことを思い出す。
というのも、小学校の5年の夏休みから中学校2年の終りまで
敗血症をわずらい、ほとんど学校にも行けず
家とかかりつけの診療所を行き来する毎日だったので
ああ やっぱり あとどれくらい生きられるんだろうかと
子どもなりに悩んでいたこともあった
でも それはそれなりに子どもの考え
中学校の三年の秋には 全国で学園紛争 じゃなく 大学闘争がもりあがり、
新宿では「争乱」が起こり 日々、テレビに釘付けだった
正月を越し、高校への受験勉強の度最中では
いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」が大ヒットしていたし
東京大学では学生と機動隊の攻防が繰り広げられていたりして
時代が変わっていくのを目の当たりにしていたよう
高校に入り まもなく父親が病に倒れ やむなく中退して家業の手伝い
自分の寿命のことを考えると
一日も早く結婚して孫の顔を親に見せなければなんて
彼女捜しに
ま いろいろ縁あって 19歳で息子の顔が見られ、
22歳で娘の顔も見ることができた。
父親は息子の顔を見たあとに他界したが
それから30年
息子が高校生の時
「お父ちゃんとお母ちゃん別れるから」と告げたとき
息子の言葉が 効いた
「おとん、ひとりでやっていけるんか」
いまは15年前に知り合った彼女との生活が続いている
二人で泣いたこともあるし、私が彼女の前で大泣きしたこともある
まだまだ腹の中まで わかるような関係にはなっていないだろうけれど
いまの関係 つきあいを大事にして
子どもの頃に聞いた 寿命を超えてしまっているけれど
毎日毎日を 大切にしたいと思う今日この頃
ああ あと何年生きられるのかなあ
2007年10月11日
沖縄が好きって
と、よく言われます。
確かに、沖縄が好きです。でも米軍基地がない沖縄の方がもっと好きです。
逆に聞いてみたい衝動に駆られます。
あなたが「沖縄が好きなんですか」という問いかけを発するあなたの描く沖縄って、どんな沖縄なんですかと。
青い海と空、白い珊瑚の砕けたビーチ、それとも「本土」とは違う食文化、音楽ですか、ゆったりとした時間の流れ、それとも…。
どういう沖縄を想像して問いかけられているんだろうと考えてしまいます。
そのイメージの中に米軍基地は入っているんだろうか。
国策とはいえ、在日米軍の75パーセントの基地が集中している沖縄。
そこから起こる事件事故。
イラクやアフガンへと人殺しの訓練を受けた兵士が、沖縄で何の罪もない女性や子どもをレイプする。
実弾演習で山の形を変えてしまう。山火事を起こす。
交通事故で兵士が加害者であっても、「公務中」だと言えば、無罪、罪に問われない沖縄。
書き上げたら切りがないけれど、そういう基地被害に苦しむ沖縄がイメージされて問いかけているのだろうか。
沖縄の人たちが望んで基地を受け入れているわけではなく、銃剣とブルドーザーで土地を奪われ基地に強引に使われていること、基地の中に先祖の墓がある人たちがたくさんいること、知った上で問いかけられているのだろうか。
首を捻ることが多くなってきた。
2007年10月08日
バタバタ一日
美味しい梨、栗を追い求め、探して、今日は一日ドライブでした。
烏丸半島の道の駅でまず梨をゲット。本来はここで帰るはずが、以前、高島市民会館での関西フィルのコンサートに行った帰り道に寄った安曇川の道の駅に行こうと提案。その時は時間が遅くて閉まっていたのだった。
で、琵琶湖大橋から湖西道路を一路北上。
その途中で、せっかく高島まで行くんだったら、マキノピックランドで栗を買い、マキノ駅近くの足湯のあるスーパーにも立ち寄ろうとの提案が連れ合いから。
あいにくの小雨模様だったけど、足湯のスーパーではリンゴを買い、ピックランドでは肝心の栗は手が出せずじまいで、移動です。
安曇川の道の駅でフナ寿司あられとアドベリーでっち羊羹を買いました。
フナ寿司あられ、まあ、確かにほのかなフナ寿司の香りが。
で、帰宅前に自動車屋さんへ。
8年で17万5千キロをすでに超えている愛車を手放し、中古の軽を探してほしいと依頼。
バタバタしていた一日でした。
烏丸半島の道の駅でまず梨をゲット。本来はここで帰るはずが、以前、高島市民会館での関西フィルのコンサートに行った帰り道に寄った安曇川の道の駅に行こうと提案。その時は時間が遅くて閉まっていたのだった。
で、琵琶湖大橋から湖西道路を一路北上。
その途中で、せっかく高島まで行くんだったら、マキノピックランドで栗を買い、マキノ駅近くの足湯のあるスーパーにも立ち寄ろうとの提案が連れ合いから。
あいにくの小雨模様だったけど、足湯のスーパーではリンゴを買い、ピックランドでは肝心の栗は手が出せずじまいで、移動です。
安曇川の道の駅でフナ寿司あられとアドベリーでっち羊羹を買いました。
フナ寿司あられ、まあ、確かにほのかなフナ寿司の香りが。
で、帰宅前に自動車屋さんへ。
8年で17万5千キロをすでに超えている愛車を手放し、中古の軽を探してほしいと依頼。
バタバタしていた一日でした。
2007年10月07日
サツマイモ掘り
明日から天気が悪くなりそうなので、今朝、サツマイモ掘りを。
瀬田で借りている農園で、5月18日に苗を8ツ植え付け、待つこと約5か月。
汚れてもいい出で立ちで、いざ土を掘り返す。
出てきました、出てきました。
まだまだ早いかなって思う奴もあるけど、今日の日を逃すと、チト日がないので、掘り続けました。
はいっ。
教科書には一つの苗から1kgって書いてあったんで、計りました。
8.5kg。70個
上等です。
2007年10月06日
10月6日
きょうは辺野古に基地はいらない滋賀行動の日。
2時から3時半まで草津駅前でビラを配り、国会請願署名を集めました。
私たちが6月23日から3か月少しの間に集めた署名は1123筆です。全国では26000筆を超えているとか。
今日はなぜかビラの受けとりも署名をしていただく人もいつもより少なかったんですが、署名をしていただいた方はやはり沖縄のことに関心が高く、教科書検定意見撤回を求める県民大会の話が出ました。
あ、そうそう、今日は朝からパルコで「サウスバウンド」を観てきました。
2時から3時半まで草津駅前でビラを配り、国会請願署名を集めました。
私たちが6月23日から3か月少しの間に集めた署名は1123筆です。全国では26000筆を超えているとか。
今日はなぜかビラの受けとりも署名をしていただく人もいつもより少なかったんですが、署名をしていただいた方はやはり沖縄のことに関心が高く、教科書検定意見撤回を求める県民大会の話が出ました。
あ、そうそう、今日は朝からパルコで「サウスバウンド」を観てきました。
2007年10月05日
肝炎法案提出
10月2日、民主党さんが参議院に「特定肝炎緊急対策措置法案」を提出しました。
特定肝炎とB型肝炎とC型肝炎のことです。
ありがたいことです。
月額最高負担額が1万円。
これが実現すれば、高額な医療費がネックになって治療に入れない多くの患者が助かります。
ぜひ可決してほしいものです。
特定肝炎とB型肝炎とC型肝炎のことです。
ありがたいことです。
月額最高負担額が1万円。
これが実現すれば、高額な医療費がネックになって治療に入れない多くの患者が助かります。
ぜひ可決してほしいものです。
2007年10月02日
沖縄報告 その2
辺野古を11時半頃に出発し、沖縄自動車道・伊芸SAで昼食。
沖縄まで来て「生姜焼き定食はないやろ!」と、一人つっこみをしながら、とりあえず満腹感に浸りました。
沖縄南ICを出て、北谷町役場までそんなにかからず、スイスイと走行。
「県民大会参加者はこちらへ」と書いた看板に従って車を進め、誘導員の指示で停車。
北谷町役場前から会場までのシャトルバスに乗ることに。片道100円。
15分ほどで会場に。13時過ぎに到着。
この時点で周辺6カ所からシャトルバスがひっきりなしに会場に参加者を運んできていました。
14時からアトラクション。15時から大会なのでまだ少し時間があった。
しかし、会場には次々と人が押し寄せ、瞬く間に立錐の余地がなくなってきます。
「琉球独立」の旗が2本、翻っています。
14時から「世界平和宣言の歌」「創作ダンス」「渡嘉敷島『白玉の塔』の祈りの曲と解説」「手話ダンス」が舞台上で披露され、大会の雰囲気を盛り上げていました。
さあいよいよ大会の開始です。
が、私は木陰に避難しました。暑いんですよ、ほんとに。35℃なんですから。
午前中、辺野古で一汗かいたあと、伊芸SAの売店で買ったTシャツがすでに汗でぐっしょりになってきていました。
沖縄平和祈念堂管理事務所長の比嘉正詔さんの司会ではじまり、まずは沖縄県PTA連合会会長の諸見里宏美さんが県民へのアピール、大会実行委員長の仲里利信沖縄県議会議長のあいさつ、仲井真弘多沖縄県知事のあいさつ、中山勲沖縄県教育委員会委員長のあいさつ、と続きました。
各団体代表挨拶として、沖縄県市長会会長の翁長雄志那覇市長、読谷高校三年生の津嘉山拡大くんと照屋奈津美さん、渡嘉敷村教育委員会委員長の吉川嘉勝さん、沖縄県婦人連合会会長の小渡ハル子さん、沖縄県子ども会育成連絡協議会会長の玉寄哲永さん、沖縄県青年団協議会会長の照屋仁士さんらがそれぞれ戦争体験者として、女性の立場から、子ども会の立場から、青年の立場から教科書の検定意見撤回を求めるアピールが行なわれました。
特に印象に残ったのは、新聞やテレビなどで報道されていて、ご存じの方は多いと思いますが、読谷高校三年生の二人の発言です。
「『沖縄戦での集団自決に日本軍の強制があったという記述は、沖縄戦の実態について誤解するおそれがある表現である』
ある日の朝、私の目に飛び込んできたこの新聞記事。私は『誤解』という検定意見書の言葉に目を奪われてしまいました。この記述をなくそうとしている人たちは、私たちのおじぃ、おばぁたちが、うそをついているとでも言いたいのでしょうか。それとも思い違いだったといいたいのでしょうか。
私たちは戦争を知りません。ですが、一緒に住む、おじぃ、おばぁたちから戦争の話を聞いたり、戦跡を巡ったりして沖縄戦について学んできました。おじぃ、おばぁたちは重たい口を開き、苦しい過去を教えてくれました。死体の山を越え、誰が敵で誰が味方かわからなくなる怖さ、大事な人を目の前で失う悲しさ、そして悲惨な集団自決があったことを・・・(後略)」
教科書審議会には沖縄戦を専門分野とする、いわゆる識者が一人もいなかったと言うことです。
実態を知らない人たちが歴史を改ざんしようとしているのです。
そして、それに対して、「本土」ではどれほどの異議を唱えたのでしょうか。
私は恥ずかしくてたまりません。
そんなことだったとは知らなかったといういいわけは言いたくありません。
人を傷つけておいて、知らなかったからという弁解は通用しないからです。
会場の周辺では、高江の人たちが請願署名を訴えています。
あとでブログで知って、驚きました。
なんと、この日、集まった署名は2500筆だとか。信じられないですよ。ほんとに。
大会は15時から16時半までです。
16時頃に、本部から大会参加者数が発表されました。
「10万人が参加しています。先ほど呼びかけた会場カンパは678万円です。この浄財は来月の上京団の派遣に使わせていただきます」と。
ここでもう、私は身体がふるえていました。
私の隣に座っていた女子中学生3人組。どこにでもいるような3人でした。片手に携帯を持ち、なにやらひそひそ。しかし、彼女らは違ったんです。ひそひそ話は私語ではなくて、会場で次々と発言している内容についての意見を交わしていたんです。そして、発言が終わると力強く賛同の拍手を打ち続けるんです。
感動しました。すごい。
そして、本部から二度目のアナウンスがありました。
「参加者は12万人です。周辺からは会場に行きたいのでもっとシャトルバスを出してほしいという要請があります」
つまり、私たちが出発した北谷町役場のようにシャトルバスを出しているところにはまだ大会に参加する人たちがバスを待っていると言うことなんです。
会場はもう立錐の余地が無くなり、会場周辺もひと、ひと、ひとであふれかえっています。
大会は、沖縄県高等学校PTA連合会会長の西銘生弘さんによる大会決議の提案、そして最後のがんばろう三唱に入っています。
ふつう、よくあるパターンで会場からはみ出している人たち、もっと言うと、単に数集めのための動員できている人たちは、会の進行とは別の会話をしたりして、大会で何が話されているのかちんぷんかんぷんなことがよくあります。私はこういう光景をよく見ています。
しかし、別に沖縄ひいきでも何でもなく、この大会は違っていました。
みんな真剣なんです。
最後のがんばろう三唱では、会場周辺で入りきれなかった人たち、木陰で涼をとっている人たち全員が立ち上がり、拳を振り上げているのです。
人が見たら、「なに泣いとるんや、このおっさん」と言われていたかもしれません。
涙が止まらないのです。こみあげてくるんです。
こんな感動、もう無いかもしれない、そんな感じです。
秋の高校野球の試合を一時中断して、ユニフォーム姿で参加している高校生がものすごくいるし、「我如古自治会」と書いたのぼりをもって参加している町内会の人たち、杖をついて、車いすを押して、孫の手を引きながら、専門学校の生徒達は自分たちがつくったボードでアピールしているし、もう、自分がこの場にいることが信じられないほど感動していました。
県民大会への参加で、逆に「本土」に住む私たちが問われてきました。
「あなたたちは、自分たちの歴史をゆがめ、生活を苦しめる国のやり方に本気で立ち向かっているのか」と。
みなさん、「沖縄問題」は「沖縄の問題」ではありません。
沖縄のことをもっともっと知っていこうじゃありませんか。

沖縄まで来て「生姜焼き定食はないやろ!」と、一人つっこみをしながら、とりあえず満腹感に浸りました。
沖縄南ICを出て、北谷町役場までそんなにかからず、スイスイと走行。
「県民大会参加者はこちらへ」と書いた看板に従って車を進め、誘導員の指示で停車。
北谷町役場前から会場までのシャトルバスに乗ることに。片道100円。
15分ほどで会場に。13時過ぎに到着。
この時点で周辺6カ所からシャトルバスがひっきりなしに会場に参加者を運んできていました。
14時からアトラクション。15時から大会なのでまだ少し時間があった。しかし、会場には次々と人が押し寄せ、瞬く間に立錐の余地がなくなってきます。
「琉球独立」の旗が2本、翻っています。
14時から「世界平和宣言の歌」「創作ダンス」「渡嘉敷島『白玉の塔』の祈りの曲と解説」「手話ダンス」が舞台上で披露され、大会の雰囲気を盛り上げていました。
さあいよいよ大会の開始です。
が、私は木陰に避難しました。暑いんですよ、ほんとに。35℃なんですから。
午前中、辺野古で一汗かいたあと、伊芸SAの売店で買ったTシャツがすでに汗でぐっしょりになってきていました。
沖縄平和祈念堂管理事務所長の比嘉正詔さんの司会ではじまり、まずは沖縄県PTA連合会会長の諸見里宏美さんが県民へのアピール、大会実行委員長の仲里利信沖縄県議会議長のあいさつ、仲井真弘多沖縄県知事のあいさつ、中山勲沖縄県教育委員会委員長のあいさつ、と続きました。
各団体代表挨拶として、沖縄県市長会会長の翁長雄志那覇市長、読谷高校三年生の津嘉山拡大くんと照屋奈津美さん、渡嘉敷村教育委員会委員長の吉川嘉勝さん、沖縄県婦人連合会会長の小渡ハル子さん、沖縄県子ども会育成連絡協議会会長の玉寄哲永さん、沖縄県青年団協議会会長の照屋仁士さんらがそれぞれ戦争体験者として、女性の立場から、子ども会の立場から、青年の立場から教科書の検定意見撤回を求めるアピールが行なわれました。
特に印象に残ったのは、新聞やテレビなどで報道されていて、ご存じの方は多いと思いますが、読谷高校三年生の二人の発言です。
「『沖縄戦での集団自決に日本軍の強制があったという記述は、沖縄戦の実態について誤解するおそれがある表現である』
ある日の朝、私の目に飛び込んできたこの新聞記事。私は『誤解』という検定意見書の言葉に目を奪われてしまいました。この記述をなくそうとしている人たちは、私たちのおじぃ、おばぁたちが、うそをついているとでも言いたいのでしょうか。それとも思い違いだったといいたいのでしょうか。
私たちは戦争を知りません。ですが、一緒に住む、おじぃ、おばぁたちから戦争の話を聞いたり、戦跡を巡ったりして沖縄戦について学んできました。おじぃ、おばぁたちは重たい口を開き、苦しい過去を教えてくれました。死体の山を越え、誰が敵で誰が味方かわからなくなる怖さ、大事な人を目の前で失う悲しさ、そして悲惨な集団自決があったことを・・・(後略)」
教科書審議会には沖縄戦を専門分野とする、いわゆる識者が一人もいなかったと言うことです。
実態を知らない人たちが歴史を改ざんしようとしているのです。
そして、それに対して、「本土」ではどれほどの異議を唱えたのでしょうか。
私は恥ずかしくてたまりません。
そんなことだったとは知らなかったといういいわけは言いたくありません。
人を傷つけておいて、知らなかったからという弁解は通用しないからです。
会場の周辺では、高江の人たちが請願署名を訴えています。あとでブログで知って、驚きました。
なんと、この日、集まった署名は2500筆だとか。信じられないですよ。ほんとに。
大会は15時から16時半までです。
16時頃に、本部から大会参加者数が発表されました。
「10万人が参加しています。先ほど呼びかけた会場カンパは678万円です。この浄財は来月の上京団の派遣に使わせていただきます」と。
ここでもう、私は身体がふるえていました。
私の隣に座っていた女子中学生3人組。どこにでもいるような3人でした。片手に携帯を持ち、なにやらひそひそ。しかし、彼女らは違ったんです。ひそひそ話は私語ではなくて、会場で次々と発言している内容についての意見を交わしていたんです。そして、発言が終わると力強く賛同の拍手を打ち続けるんです。
感動しました。すごい。
そして、本部から二度目のアナウンスがありました。
「参加者は12万人です。周辺からは会場に行きたいのでもっとシャトルバスを出してほしいという要請があります」
つまり、私たちが出発した北谷町役場のようにシャトルバスを出しているところにはまだ大会に参加する人たちがバスを待っていると言うことなんです。会場はもう立錐の余地が無くなり、会場周辺もひと、ひと、ひとであふれかえっています。
大会は、沖縄県高等学校PTA連合会会長の西銘生弘さんによる大会決議の提案、そして最後のがんばろう三唱に入っています。
ふつう、よくあるパターンで会場からはみ出している人たち、もっと言うと、単に数集めのための動員できている人たちは、会の進行とは別の会話をしたりして、大会で何が話されているのかちんぷんかんぷんなことがよくあります。私はこういう光景をよく見ています。
しかし、別に沖縄ひいきでも何でもなく、この大会は違っていました。
みんな真剣なんです。
最後のがんばろう三唱では、会場周辺で入りきれなかった人たち、木陰で涼をとっている人たち全員が立ち上がり、拳を振り上げているのです。
人が見たら、「なに泣いとるんや、このおっさん」と言われていたかもしれません。
涙が止まらないのです。こみあげてくるんです。
こんな感動、もう無いかもしれない、そんな感じです。
秋の高校野球の試合を一時中断して、ユニフォーム姿で参加している高校生がものすごくいるし、「我如古自治会」と書いたのぼりをもって参加している町内会の人たち、杖をついて、車いすを押して、孫の手を引きながら、専門学校の生徒達は自分たちがつくったボードでアピールしているし、もう、自分がこの場にいることが信じられないほど感動していました。
県民大会への参加で、逆に「本土」に住む私たちが問われてきました。
「あなたたちは、自分たちの歴史をゆがめ、生活を苦しめる国のやり方に本気で立ち向かっているのか」と。
みなさん、「沖縄問題」は「沖縄の問題」ではありません。
沖縄のことをもっともっと知っていこうじゃありませんか。

2007年10月02日
沖縄報告 その1

9・29教科書検定意見撤回を求める沖縄県民大会に参加してきました。
朝からぐんぐん上がる気温、35℃。汗がしたたり落ちる暑さをものともせず、沖縄全土から人、人、人が押し寄せてくる。その数実に11万人。
今回、滋賀行動の仲間4人が、29日の県民大会への参加とヘリパッドがつくられようとしている東村高江、巨大な軍事基地がつくられようとしている辺野古を訪れ、座り込んで闘う人たちの声を聞き、闘いにふれ、ヤマトでどのような闘いをつくっていくのかを自分の問題として考えていこうと沖縄ツアーを組みました。
28日、那覇到着後、直ちに高江に。
N4ゲート前で座り込んでおられた方々に挨拶をし、ヘリパッドがつくられようとしている場所を見せていただきました。現在でも夜中に離発着が轟音のもとで繰り返されている高江地区に、今以上の離発着が可能なヘリ基地建設に怒りがこみ上げてきます。
こんなのんびりとした山村になぜ人殺しの基地がというのが正直な感想でしたが、仮想敵国をつくり、その国の実情に会わせた訓練をするためにはこの地域がどうしても必要なんだと納得。だからこそ、「戦争推進派」の勝手にはさせないというのが平和をつくる立場の正論です。
そのあと、N1ゲート前まで案内していただきました。ここでは、高江の闘いの歴史や事実経過を簡潔にまとめて話していただきました。写真の右側に見える車3台は高江の人たちがゲートを封鎖しないよう防衛局が雇った人たちのレンタカーです。常に3台がゲートを逆封鎖しているそうです。案内していただいた方の親戚の方が滋賀県内に住んでおられるというお話も伺いました。こんな偶然ってあるんですね。
29日は朝から辺野古に入りました。
ちょうど埼玉からやってきた青年が「千羽鶴」ならぬ「千匹ジュゴン」を寄贈されていました。すごい量でした。で、記念撮影を。名古屋のウッシーさんもやってきていたし、そこに、東京・杉並の新城さんや小笠原さんも。
小笠原さんには2年前、「つくる会教科書」の問題で草津で講演会にお呼びして以来の交流があります。その小笠原さんに辺野古でお会いするとは。
で、早速定番の記念撮影。私たちが滋賀行動で草津駅に張り出している横断幕を広げ、はいポーズ。左には安次富さんがいらっしゃいます。
このあと、辺野古の浜を歩いたり、事務所前のテントでは来られた方々との交流を深めました。
さあ、県民大会に行くぞ~
←専門学校の女子生徒たちがボードでアピール
←そう、自治会、町内会単位で参加。すごい すごい 涙が出てくる
県民大会の報告は次に回します。(←もったいぶるなあ
さて、辺野古に基地はいらない滋賀行動ですが、
10月の定例街宣は
6日(土)と20日(土)です。
いつもと同じ草津駅前で14:00~15:30です。
お時間の許せる方はぜひお手伝いください。
国会請願も間近に迫ってきています。
滋賀行動が6月23日から集めた署名数は963筆で~す。
そして、私の手持ちが今90筆あるので、合わせて、なんと1053筆。
大阪や名古屋の皆さんのがんばりには追いつきませんが、
一筆一筆を大事にして、基地建設を止める大きな世論をつくっていきたいと思います。
ぜひ、6日と20日はお手伝いください。
なお、沖縄報告会の第一陣を
10月10日(水)18:30~
JR甲西駅前の沖縄館で行ないます。
集まってください。


