いろんな出会いがありました

昨日21日は、61回目の「辺野古に基地はいらない滋賀行動」の日でした。


いつもの2時から少し遅れて始めたビラ撒きと署名活動。



今回はいろんな出会いがありました。



米軍基地で働いていたという男性。
予科練に行っていたというお年寄り。
辺野古にも行ったことがあるという女子大生。
人殺しなんていややっていいながら署名してくれた2人連れの小学生。
署名を集めるからと用紙を持って帰っていただいた女性。



前日からの雨が、滋賀行動の時間の時だけやんでくれて、助かりました。







次回は、7月5日(土)14:00~15:30
場所はいつもの草津駅前。



  

2008年06月22日 Posted by つむぐ at 15:10Comments(0)TrackBack(0)

平和の詩。。6.23


6月23日は「慰霊の日」

沖縄戦の組織的な戦闘が終結した日。


沖縄では毎年この日を「慰霊の日」と定め
摩文仁の丘で「沖縄戦全戦没者追悼式」が開かれています。

メインは毎年公募に応じた数多くの詩の中から最優秀作品が
追悼式で朗読されます。

今年は読谷小学校三年生の
嘉納英佑くんの作品
「世界を見つめる目」が選ばれ、当日、朗読されます。




世界を見つめる目
            嘉納英佑(読谷小三年)

やせっぽちの男の子が
ほほえみながら、ぼくを見つめた
テレビの画面の中で…
ぼくも男の子を見つめた
どんな事があったの?
何があったの?
何も食べる物がないんだ
でも、ぼくは生きたい
くるしいけど、あきらめない
ぼく がんばるよ
えがおが あふれる
生きる人間の力強さを感じた
ぼくは 真実を見つめる目を
持ちたいと思った



悲しそうな目をした女の子が
なみだをうかべながら、ぼくを見つめた
テレビの画面の中で
ぼくもその女の子を見つめた
なぜ、悲しい顔をしているの?
なぜ、泣いているの?
せんそうで、家族もいなくなっちゃった
家も 友達も
全部、全部なくなっちゃった
悲しいよ さびしいよ
どうすればいいの 助けて
大切なものをなくした人間の弱さを感じた
ぼくは 涙をふいてあげる
やさしい手を持ちたいと思った



きずだらけの男の人が
苦しそうな顔をして ぼくを見つめた
本の写真の中で…
ぼくも男の人を見つめた
どうしたの?
いたいでしょ 大じょうぶ?
あらそいからは なにも生まれはしない
おたがいかにきずつくだけ
にくしみがつのるだけ
人間のおかしたあやまちの大きさを感じた
ぼくは やさしくてあてしてあげる
あたたかい心を持ちたいと思った



ぼくのとなりで
おじいちゃんが
自分の目で見てきたできごとを
ぼくに伝えた
苦しかったせんそうのできごと
おばあちゃんが
自分が体験してきたできごとを
ぼくに伝えた
こわかった そかい先でのできごと
お父さんが
ぼくに伝えた
食べる物がなく 苦しんでいる人がいる事
家がなく つらい思いをしている人がいる事
家族とはなればなれになってしまった人
ざんこくでひさんなできごと
悲しくなった つらくなった
お母さんが何も言わず
ぼくをだきしめた
むねがいっぱいになった
あたたかいぬくもりが
ずっとずっと ぼくの中にのこった



みんながしあわせになれるように
ぼくは、
世の中をしっかりと見つめ
世の中の声に耳をかたむけたい
そしていつまでも
やさしい手と
あたたかい心を持っていたい  

2008年06月21日 Posted by つむぐ at 06:21Comments(0)TrackBack(0)

怒りをたたきつけよう、自民・民主に!


ああ、この人たちには、毎日毎日肝炎が原因で120人もの人たちの命が奪われている現実が理解できないんですね。



いつもお世話になっている肝臓のなかまたち(第二世代)から無断転載させていただきました。

sinさん、ごめんなさい


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

肝炎対策基本法案等 廃案 怒り心頭

 18日の読売新聞オンラインニュースによれば、国会会期末を控え、自民党と民主党の参院国対委員長の話し合いにより、肝炎対策基本法案など25法案を次期国会への継続審議とせずに廃案とすることを決めたとあります。
 与党の公明党や野党の他の党ときちんと相談しているのでしょうか。
 自民党の態度は、ああまたかということですが・・・・。
 民主党のこれまでの熱の入れよう(30回近くの肝炎対策プロジェクトチーム会議など)が、参院国対責任者の判断で、いっぺんに吹き飛んでしまいました。

 
巨大2大政党制の実態を国民(肝炎患者)に見せつけたできごとです。
 

 肝炎患者のみなさん、
  自民・民主党に抗議の声を届けましょう。
    

    自民党
    

    民主党
  

2008年06月20日 Posted by つむぐ at 20:47Comments(0)TrackBack(0)

抑圧あるところに



かならず反抗あり



そんな言葉が駆けめぐる今日この頃です。




この人だけはと信じていたのに


素顔を見てしまったショックは表現しようがありません。




えっ、誰だって?







あなたですよ。  ・・・さん

  

2008年06月20日 Posted by つむぐ at 06:20Comments(0)TrackBack(0)

無性に食べたいっ


  

2008年06月19日 Posted by つむぐ at 06:19Comments(0)TrackBack(0)

ねこと蟹工船

こうやって比べると、わかりやすい(ρ_-)o
  

2008年06月18日 Posted by つむぐ at 06:18Comments(0)TrackBack(0)

あやじの命日

きょうは親父が亡くなった日。



1976年。



私がまだ22歳の時だった。



最期はかかりつけの町医者までおんぶして通っていたなあ。



気がつけば、親父が亡くなってからの方が長くなった。
  

2008年06月17日 Posted by つむぐ at 16:48Comments(0)TrackBack(0)

Aさんへ

仕事に全く支障のない持病であっても正社員にはなれないんですか。


妊娠しているから正社員にはなれないんですか。


気に食わないというだけで、仕事を取り上げてもいいんですか。


あいつとは口を聞くなと従業員同士を反目・対立させて楽しいですか。
  

2008年06月17日 Posted by つむぐ at 06:17Comments(0)TrackBack(0)

ああ、なんだか、疲れるなあ。




明らかな差別発言を差別じゃないと開き直り、差別された当事者を含む同じ境遇にいる人たちをペテン師集団だと言い放つ人たち


明らかな差別発言に抗議する人たちからの質問書を無視し、差別がなかったように振る舞う人たち







もう   つきあっていられません。




  

2008年06月16日 Posted by つむぐ at 18:16Comments(0)TrackBack(0)

うたげ


  

2008年06月15日 Posted by つむぐ at 14:15Comments(1)TrackBack(0)

ふりかえり


  

2008年06月15日 Posted by つむぐ at 10:21Comments(0)TrackBack(0)

いろいろありがとうございました。

(T_T)
  

2008年06月14日 Posted by つむぐ at 09:03Comments(0)TrackBack(0)

モコゲーム



モコゲームとは、ろう者の疑似体験ゲーム。


ルールは、声を出さないで会話するというだけ。


日頃、ろう者が体験している様々な困難を


聴者が声を出さないで会話をすることで体験する。


声を出さない代わりに、手話・ジェスチャー・


筆談・空書など、工夫を凝らしてコミュニケーションをとる。


声を出さずに、3つのセクション


(病院の受付・駅・レストラン)を回って、質問に答える。


どれだけスムーズにできたかを得点で競う。


そのあと、基本的な手話を身につけ、再び


同じ3つのセクションを回り、


どれだけコミュニケーションの取り方が変わったかを


実感するというもの。


愛媛県松山市在住の原田美藤さんが考案された。  

2008年06月13日 Posted by つむぐ at 06:13Comments(0)TrackBack(0)

つづく


(=^・^=)
  

2008年06月12日 Posted by つむぐ at 17:55Comments(0)TrackBack(0)

名門って、なんだ?

今回の秋葉原の事件でもそうだし、何かことあるごとに、「名門」という言葉があふれ出す。



「名門の大学の名を汚した」だとか、「名門の高校を卒業したのに」だとか。





「名門」=「由緒ある家柄。名家。名族」と広辞苑にあった。






ある特定の集団や個になにがしか特別な価値を付与し、それに自分たちに都合のいいランクをつけたり、ラベルを貼ってしまうのは差別につながるのではないだろうか。


そのようなランクやラベルに何も感じない、自分でもそうなんだと思ってしまう意識、それを聞いても当然だと思ってしなう意識は差別を温存し、再生産しているのではないだろうか。


わたしはこの「名門」という言葉が嫌いだ。








でも、「名門」の反対語はなんだろうか?



  

2008年06月11日 Posted by つむぐ at 22:13Comments(0)TrackBack(0)

迷った末に。。。。。

1日の「お買い物」にコメントいただいた方、ありがとうございました。


言葉足らずのせいで、私の思いが不十分に伝わっているようで、また、娘の名誉にかけて、反論させていただきます。




>>たまに拝見していますが、相変わらずな事を書かれていますね。




でも、いきなり冷ややかなトゲのある書き出しで、びっくりしました。でも、これは私のブログですし、誰か特定の個人を誹謗・中傷したわけではありません。自分の思い、考えを書いたまでです。




>>しかし、貴方の記事には、インドネシアにあるバリ島に娘さんが新婚旅行に行くと、5月20日に楽しそうに書かれていましたが、同じ事では無いのでしょうか?



確かに5月20日の記事に「バリ島云々」と書きましたが、その部分だけを取り上げて、娘がバリ島に新婚旅行に行くとは断定していませんし、実際に娘はバリ島には行きません。あの部分は、私と娘の「ぼけとつっこみ」という駆け引きでしかありませんし、そういう駆け引きを楽しんでいるといったほうが性格だとは思いますが・・・。
私は全くバリ島のことを歴史をも含めて知りません。知らないと言って開き直っているのではなく、今まで知ろうという機会がなかったという方が当たっています。チベットの問題もまだまだ勉強のど最中ですし、ミャンマーについても、ネパールについても・・・。バリ島の歴史などを知らずに「バリ」と「夕張」をかけて「遊んでいた」ことが、バリ島の方々に失礼だとしたら、今後気をつけたいと思います。
しかし、話のモトは「バリ」ではないことぐらい理解しています。



>>人それぞれ理由が有っての事です。あまりそういった事は書かない方が良いのではないですか?



そうですよね。人それぞれです。いろんな理由で、都合で、思惑で、計画で琉球・沖縄を訪れられますよね。
そんなことは百も承知しています。すべての人に基地問題を考えろとか、自然破壊を考えろとか、書いたつもりではありません。言葉足らずで誤解が生じたならお許し願いたいのですが。仮に基地反対を「叫ぶ」人が10人いても、10人すべてが同じ温度であるわけがないのです。
部落差別や障害者差別、女性差別にしても、そういう差別をなくしていこうという関わり方には温度差があるのは当たり前のことです。「沖縄」についても。それぞれいろんなとっかかりやきっかけ、動機があるはずです。観光で行ったとしても、帰るときにはあのフェンスの向こう側はどうなっているんだろうとか、Yナンバーって何だろうとか、ほんのすこしでも考えることが必要なのではないかといっているだけで、すべてを否定しているのでは決してありません。


でも、忘れてはならないことはあるはずです。


私たちの税金で米軍兵士がのうのうと豊かな暮らしをしていることに、疑問を感じられませんか。
沖縄は慢性的な水不足に陥る土地です。でも、米軍基地の中は水が使い放題だということに疑問を感じられませんか。
家賃が何十万という「基地外住宅」のその家賃を補助しているのは私たちの税金だということに疑問を感じられませんか。
「9.11テロ」の直後、沖縄の米軍基地を護衛したのは自衛隊だったということに疑問を感じられませんか。
「9.11テロ」の直後、沖縄への修学旅行のキャンセルが相次ぎました。理由は「そんな危険なところに子どもたちを行かせることはできない」というものでした。しかし、現にその場所で生活している沖縄の人たちは危険じゃないのでしょうか。自分は「安全な場所にいて、危険を沖縄に背負わせる」行為に疑問を感じられませんか。
ジュゴンが棲息する辺野古沖、大浦湾をコンクリートで埋め立て、原子力潜水艦まで着岸できる巨大な軍事空港を作ろうとしていること、そして、それを非暴力で、話し合いで、建設の中止を迫っている人たちに海上自衛隊の母艦が威嚇のために出動したことに疑問を感じられませんか。
海上保安庁の船が、非暴力で、話し合いで基地建設の中止を求めている人たちが乗るボートやカヌーに突撃、襲撃してくることに疑問を感じられませんか。
私も下地島の「通り池」、一度は見たいと思っています。でも、その下地島の空港が軍事利用されようとしていることに疑問を感じられませんか。





>>そう言った事は書かない方が・・


そう言った事ってなんでしょうか? 
それはなぜ、書かない方が いいのでしょうか?


私には抽象的すぎて、理解できません。




でも、こういうやりとりは基本的に不公平だと思っています。


私はあなたがどなたかも知り得る情報を持っていません。



一方通行で、私が逆にあなたのところにおじゃまできない、否、反論できない「安全な」場所におられて、他人のブログにコメントを書き込むことはやめていただきたいと思います。



私のこの拙いブログでも、コメントを書き込んでいただいている方々は、実際にお会いし、食事をともにしている方々やそれぞれのブログを紹介しあっている方々ばかりです。


ですので、このやりとりはこれで終りにしたいと思います。

今後、このような形でコメントを寄せていただいても削除させていただきます。  

2008年06月10日 Posted by つむぐ at 18:00Comments(0)TrackBack(0)

命日




今日、6月9日は母親の命日。



59で逝くなんて、早いよ。

  

2008年06月09日 Posted by つむぐ at 18:04Comments(0)TrackBack(0)

辺野古に基地はいらない

2005年12月から始めた、草津駅前での「辺野古に基地はいらない滋賀行動」。
7日で60回目を迎えていました。


この日は滋賀行動の大先輩である「大阪行動」が200回目を迎えたそうです。


いつものメンバーで、2時から3時半まで、横断幕を張り出し、パネルを展示。チラシを配りながら辺野古新基地建設の中止を求める署名を集めました。


修学旅行で沖縄に行ってきたという学生さんや子どもさんが沖縄で働いているというお母さんらと話しをすることができました。



次回は21日(土)。午後2時から3時半までです。

  
タグ :沖縄

2008年06月09日 Posted by つむぐ at 06:09Comments(0)TrackBack(0)

蟹工船


『蟹工船』は1928年10月18日から1929年3月30日にかけて完成され、プロレタリア芸術運動の機関紙『戦旗』の5月、6月号で発表された小林多喜二、25歳の時の作品です。




1933年2月20日、築地警察署で虐殺された小林多喜二。





その『蟹工船』がいま、爆発的に売れている、読まれているらしい。



このあいだ、テレビでもショート話題になっていました。

  

2008年06月08日 Posted by つむぐ at 06:08Comments(0)TrackBack(0)

素直に喜びたい・・・・が

昨日、アイヌ民族が日本の先住民族だということが国会で決議されました。


決議の中には「差別され、貧窮を余儀なくされた歴史的事実を厳粛に受け止め」との一文もあります。


それにしても、遅いです。


わずか11年前までアイヌ民族を「旧土人保護法」という差別政策の下に縛りつけておいた政府の責任はもっと明らかにするべきだと思います。そして、それは同時に、「旧土人保護法」の撤廃のために何もしなかった私たち、あるいはそんな差別的な法律があることすら知らなかった和人自身が責任をとらなければならないことだと思います。


しかも、現在進行形で、「アイヌ史資料集」という差別図書がでまわっていて、アイヌの人たちが図書の回収と著者・河野本道の謝罪を求め続けています。


この差別図書は、アイヌの人たちがどのような病気でなくなったのかという病歴・死因を本人に承諾もなしに資料として集め、無断で販売したものです。


皆さんのおじいさんやおばあさん、ひいおじいさんやひいおばあさんの名前が実名で載り、どんな病気でなくなったのか、しかもその病気は固有の伝染病だというありもしないデマを書き並べて本になって売られていたら、どう思いますか。


「部落地名総鑑」・・・被差別部落(同和地区)の住所はそこに住んでいる一人一人の思想信条まで調べ上げた本が売られ、それを採用選考などに使っていたとして、県内の大手の企業も指摘され、問題になっていますが、これのアイヌ民族版ともいうべき、卑劣な差別図書が出回っているのです。許せないことです。



アイヌと滋賀県。関係が意外と深いことにもびっくりです。

「滋賀県の歴史」(山川出版社)の中には次のような記述があります。

寛永二(1625)年ころ、・・・・・・(略)。
これより以前、波濤をこえ、船を北へむけた人びとがいる。柳川村(彦根市柳川町)の建部七郎右衛門や八幡の岡田八十次・西川伝右衛門らは、蝦夷地へわたった。当時の蝦夷地は先住民族であるアイヌ民族と松前氏が支配する渡島半島の松前・江差などに和人が生活していた。この蝦夷地には、多くの水産物があり、これを上方へ持ち込めば巨利を得られることはいうまでもない。利を見極めることに機敏な近江商人のうち八幡・柳川(両浜商人)の人たちは稼ぎの場を北にむけた。・・・・(略)。
近江商人の進出は、米作未成立の蝦夷地における松前藩の特殊な知行制度にかかわって成立していった。もちろん、他国の商人たちも進出していたが、近江商人たちは松前藩で信用を獲得することができ、天明六(1786)年の記録では富商17人のうち11人までが近江商人で占められていたとのことである。・・・・(略)。

北海道の主要な都市である函館・小樽・札幌などは近江商人により開かれた、といっても過言ではない。渡島半島の日本海側の町や小樽周辺の町を正月に歩くと京都や滋賀でも少なくなった形の松飾りや軒先や室内にみられる。近江商人がもちこんだ生活習慣がそのまま根付いたものである。しかし、このことが結果として、アイヌ民族固有の伝統文化をとりあげていくことになったことをわれわれは忘れてはならない。




  

2008年06月07日 Posted by つむぐ at 10:10Comments(0)TrackBack(0)