自分史1=新聞配達その2

つむぐ

2009年01月10日 05:51








23年間の新聞配達【その2】



 ところが、自分がその現場に足を染め始めてからは驚きの連続だった。
 いくつか新聞販売店は移ったりもしたが、基本的には次のような一日(?)のくり返しだった。



 午前というか、まだ深夜の2時前には布団から這い出し、半開きの目をこすりながら販売店に向かう。
 販売店の鍵を開け、本社からトラックで届けられる朝刊の荷受けをし、前日に準備していた折り込み広告を一部一部新聞に手早く挿入し、それを配達区域別に分け、次々と出勤してくる配達員に渡す。



 配達員は夜明け前の真っ暗な街中をバイクのエンジン音と自分の靴音だけを響かせながら、読者が起きるまでに配達しなければとの気持ちを持って、一軒一軒配達していく。
朝刊の配達は地域によってバラツキはあるものの、だいたい6時くらいには終わる。



 しかし、販売店の朝刊業務はそれで終わりではない。
 読者からのクレーム(新聞が濡れている。新聞が届いていないなど)処理のために待機しなければならない。
 やっとの思いで自宅に帰り朝食。そして、仮眠。
 10時すぎには目を覚まし、月末月初であれば集金業務に。または、本社からのスケジュール表に基づいた勧誘業務員の案内。昼食を食べる時間もない。すぐに夕刊の準備。
 配達を終えても一息ついただけで、集金業務や翌日の朝刊に入れる折り込み広告の丁合が待っている。
 帰宅するのはだいたい20時。それから遅い夕食を流し込み、風呂に入り、何も考えることなく布団に潜り込む。



 そしてまた、2時前に起床。



 こんな生活パターンのくり返しだった。
 心臓に穴が空いていて、良くこんな激務をこなしていたのか、ふり返ると不思議でならない。
 慢性的な人手不足の現場で、雨の日も風の日も、灼熱の昼下がりも、凍てつく冬の朝も、体調を崩していても、そこに読者が待っているからと新聞を配り続けてきた。
 休刊日があっても、それは本来の休日ではない。
社会保険や雇用保険にも加入せず、退職金もなく、時間外賃金、ボーナスなんて夢のまた夢。



 新聞の紙面で労働基準法に違反した企業を問題にしている足もとで、その新聞を配達している労働者をボロ雑巾のように酷使している現実。
 とある新聞がテレビのコマーシャルで盛んに「ジャーナリスト宣言」なんて叫んでいたが、ちゃんちゃらおかしい。
自分たちが作った新聞をどのような環境で配達しているのか、一度でも現場を見たことがあるのかと言いたい。
 あたりまえのことだが、新聞は取材・編集する人たち、印刷する人たち、販売店に配送する人たち、読者に届ける人たち、読者を増やす人たちがいてこそ、一つの仕組みが成り立っている。
 しかし、現実には、新聞本社で働いている人たちが「上」で、配達する人たちは「下」に見られている。
これは歴然とした事実で、とある結婚相談所に申し込んだ青年が職業欄に「新聞配達」と書いて受付を拒否された事例があった。
(つづく)