14年。
14年前、当時住んでいた瀬田でも揺れを感じた地震。寝ていた布団の足下にあった本棚が倒れていた。
その日は月曜日。当然、朝から仕事。
草津市内の運送会社で働いていた。
守山市内にある大手スーパーの配送センターから、主に湖西を担当して、宅配の仕事をこなしていた。
その守山配送センターに出勤途中にも余震があり、交差点で停車していても道路が波打っているのがわかったほどだ。
結果的に信じられない大災害になっていた。
19日、配送センターの定休日なので、連れ合いの実家(西宮)へ急遽行くことに。
甲子園口まで乗り、てくてくと歩いて実家へ。
しかし、目に入ってくる光景は悪夢を見ているようで表現のしようがない。
駅の前に立っていた)階建てのマンションも崩れている。
町がほこりっぽい。緊急の避難所に水を求めて並んでいる人たち。
実家は被害を受けていたが、人的な被害がなかっただけでも救いか。
連れ合いの同級生も亡くなっていたそうだ。後日、その同級生の崩壊した家に花を手向けに行った。
あれから14年。そのときから時間が止まっている人が大勢いる。
街は「復興」したけれど、人の心はなかなか元通りにならない。
大切な人を亡くした哀しみは癒えることがないだろう。
1・17 この日を忘れまじ。