足利事件・菅家さんからの手紙
「滋賀の皆様へ」
私は平成二年五月十二日の日は朝五時三十分頃おきて運動してから朝ご飯食べて午前7時すこしすぎに家を出て幼稚園の仕事に出掛けました 午前七時三十分頃幼稚園について午前八時に幼稚園をバスで出発して子供た達をむかえにゆきました そして三回往復して午前十時頃に終わって職員室へ行ってお茶を飲んでそれで午前11時頃に子供達を親のもとへ幼稚園バスで三回往復して午後1時頃バスの仕事が終わりました それで十分間ぐらいバスの中をはきそうじをして午後一時十分すぎ頃家富町の自宅へ帰りました。午後一時十分頃幼稚園を出て自宅へ着いたのが午後一時三十分頃です。それでお昼のごはんはソクセキラーメンを食べてから午後二時三十分頃実家の家富町を出て午後3時近く山清フードセンターへ寄って缶コーヒーを五本買ってほかにも食べ物を買って千円近く買ってから山清フードセンターを出たのが午後3時すぎです。私が借りている家についてから窓を明けてはきそうじをしてから外国映画の「コブラ」というビデオを見てから夕食にして午後六時にニュースを見て午後七時にニュースを見て午後八時には暴れん坊将軍を診ていました 午後九時には土曜ワイド劇場を見てその前に午後七時三十分にクイズダービーを見ました。そして夜十二時頃ねました。
そして次の日の五月十三日午前十時頃、福居和泉町の借家を出て家富町の自宅へ向かうとちゅう田中橋の真ん中あたりを自転車で通ったら橋の下に大ぜいの人がいて走っていました。それで私はなんだろうと思ったけどあまり気にせずに田中橋をわたり終わると土手にテレビ局の車がありました。何かあるのかなと思ったけど、す通りしてニュー丸の内パチンコ店に寄って一時間ぐらいパチンコをやって実家の家富町へ帰りました。しかし五月十二日の土曜日の日はパチンコはやってはいないのです。五月十三日の日曜日にパチンコをして実家の家富町へ帰ったのが午前十一時三十分頃です。そして実家の家富町へ帰ってからお袋に田中橋の下に人が大ぜいいるよと私は話しました。お袋はそうかいと私にいいました。そして午後はこのニュー丸の内パチンコ店ではなく丸の内パチンコ店へ行きました。そして夕方に家富町へ帰ってきました。そして夕食をして夜は家を出たりする事は私はめったにありません。それでこの五月十三日の日は終わりました。私は無実でございます。
平成三年十二月一日 借家と警察での出来事
十二月一日の朝七時頃起きてテレビでニュースを見ていたら刑事が玄関の戸を開けて菅家いるか警察だとゆってズカズカと上がってきて刑事が私にそこえすわれと刑事が言いました。テレビがおいてある六じょうのガラス戸の前で刑事が私になにしにきたかわかってるなと言いました。私はまったくわからなかった。そうすると刑事がお前は子供を殺したなと私にゆったのです。それて私はやっていませんと刑事に話しました。そうすると刑事が私を刑事のうでで私をどつきました。私はうしろへひっくり返りました。らんぼうな刑事だなと私は思いました。私はとっても頭にきました。頭にきてもどうすることも出来ませんでした。
それで●●刑事が胸ポケットから子供の写真を出して私に見せました よく見るとパチンコ店の前においてあったカンバンにはってあった松田真実ちゃんの写真だった事を思い出しました。そして真実ちゃんが写っているチラシが借家に入っていた事がありました。そして○○刑事が私に子供にあやまれと言うのです。私は罪をおかしていないのでなにがなんだかさっぱりわかりませんでした。私は手をあわせました。やすらかにと私はゆったら刑事にやすらかじゃねえよと言われました。それじゃ今から警察に行くからなと刑事に言われました。それで私は今日は保育園の先生の結婚式のひろうえんに行くんですとゆったら○○刑事がそんなのはどうでもいいと私に言いました。
私はとても頭にきました。私はなにもわるい事はしていないのに本当にくやしい思いをしました 私は保育園の先生に大変なめいわくをかけてしまいました。
私はなにもわるい事をしていないのに私は結婚のひろうえんに行きたかった 私は刑事達を許すことが出来ません。それで私は警察へ連れて行かれました 警察の白い車で警察に連れていかれました。
警察へ連れていかれて調べ室で取り調べをされて私はやっていないと話しました。でも刑事はまったくうけつけませんでした 私は何回も何回も刑事にやってはいませんと話しても刑事はうけつけませんでした。そして刑事が私にお前は現場に行っているんだよと何回も私にゆったのです。でも私は現場には行ってはいないと刑事に言いました でもまったくうけつけられませんでした。そして私は○○刑事にもうにげられないと私にゆったのです 私はくやしくてなりませんでした。私は罪をおかしていないのでにげるきはまったくありませんでした。そして○○刑事が今は科学捜査だからわかるんだと言われました。私はいくら科学捜査でもやっていないものはやっていないと思いました。それから私は下を向いている時に若い刑事に頭の毛をひっぱられました。そして頭の毛をひっぱられた時に頭を上げろと刑事に言われた時そうしたら刑事が私にバカづらをしているなと私に言いました。
何という刑事かわかりませんが私は本当に頭にきました。でもどうする事もできませんでした。
とてもくやしいです。そして若い刑事がつくえをたたいて大きい声で私に早くしゃべって楽になれと言うのです。楽になれと言われてもやってはいないからしゃへりようがありませんでした。それから○○刑事が犯人はだれでもいいんだよと私にゆったのです。犯人はだれでもいいんだよといういいぐさはないと私は思いました。私はとても頭にきました。それで私はやっていないとゆったり○○刑事は私にお前がやったんだよとゆったりして そして私は刑事達がだんだんこわくなってきて それで夜おそくなって私がやりましたと話してしまったのです。家にとうとう帰してもらえませんでした。そして夜おそくなって私は逮捕されました。
私はやっていないのにどうしてこんな事になるんだとくやしい思いをしました。まったくじょうだんではないと思いました。その夜おそくになって手錠を掛けられて留置所へ入れられてその夜はねましたがなかなかねむれませんでした 取り調べ時何と話をしていいか、やったとゆった以上は何を話しをしていいか考えていました。やってもいないのに本当にくやしい思いです。
私は平成三年十二月一日夜おそくなって刑事にやったと話しましたがもしも二日も三日もやっていないと言うと、とんでもない事になると思いました。それでやったと話しました。とんでもない事というのは刑事達になぐられたり、けとばされたり、足にロープでしばられてつるされるのではないかと、とても不安でした。この時は本当に刑事達がこわかったのです。それでやりましたと話してしまったのです。私はこの足利事件はまったく無関係です。それで今でもまったく私には足利事件の事はピンときません。平成三年十二月二日の取り調べで○○刑事が私にどうして自首してこなかったんだと私に言うのです。私はなにも罪をおかしていないので自首する事はなにも考えてはいませんでした まったく私は刑事達には頭にきます。
今の心況
足利事件で無実の罪で警察に逮捕されてから今年十二月一日で丸八年になります。
私はこの八年間ずうっとくやしい思いをしております。犯人とうたがわれただけでショックを受けるのに逮捕されて取り調べをされてこんなバカな事はありません。私は刑事達をゆるせません。ぜったい私は刑事達をゆるす事は出来ません。こうゆう刑事達がいるから冤罪はなくならないのです。刑事達の八年前の取り調べの時に私に今は科学捜査だから「現在のDNA鑑定」わかるんだと私にしつこくゆったのです。私はこの刑事達はいったい何だと思いました。私は何も罪をおかしていないのにこの刑事達はいったい何をゆっているんだと思いました。私が警察にいた頃に私を取り調べた刑事達が表彰されたと聞きました。とんでもない事です。刑事達が表彰されるなんて事はぜったいゆるせません。私は刑事達が表彰されるようなことはいっさい何もわるいことはしていないので本当に私は今も刑事達にものすごく怒っています。私は本当に今もとても頭にきています。
刑事達はいったん逮捕した人間が犯人であろうとも無実の人間であろうともいったん逮捕した人間を犯人にしてしまう本当にわるい刑事達です。刑事達自身はまちがって無実の人間を逮捕してしまってもまったく無実の人間にあやまろうとしないまったくわるい刑事達なのです。刑事達は今も反省をまったくしないまったくわるい刑事達なのです。
こうゆう刑事達を私はぜったいゆるす事は出来ません。私は無実になった暁にはこの刑事達を告訴したいと思います。刑事達自身がまちがっていてもまったく平気な顔をしているのです。こんな刑事達をゆるす事は出来ません。私は今もこの刑事達の事をものすごく怒っています。
私は真犯人に対しても、今もものすごく怒っています。
真犯人は松田真実ちゃんを殺しておいて平然としているのです。真犯人は四歳の小さな松田真実ちゃんを殺すなんてもってのほかだ、真犯人よただちに自首をして罪のつぐないをして下さい。私は真犯人に一日も早く自首をしてほしいのです。真犯人は自分でおかした罪を他人に平気でなすりつけておいて真犯人はかくれている、平気でどこかだ平気で生きている。真犯人は自分でおかした罪なのでせきにんをとるべきです。真犯人よただちに自首をして下さい。松田真実ちゃんがかわいそうです。真実ちゃんのご両親もかわいそうです。真犯人よ、今すぐに自首をして下さい。そうすれば松田真実ちゃんは浮かばれます。私の言いたい事は真犯人に自首してもらう事です。そして真犯人は松田真実ちゃんと真実ちゃんの御両親にぜつたいあやまってほしいのです。そして真犯人は罪のつぐないをしてほしいのです。
それから私の両親と私のきょうだいも本当に苦しみました。私は刑事達と真犯人をぜったいゆるす事は出来ません。
滋賀の皆様、私は無実ですのでこれからも頑張ってまいりますのでこれからもどうぞよろしくお願いいたします。
平成十一年十一月十六日 「滋賀の皆様へ」 菅家利和
長い手紙を読んでくださってありがとうございます。
この手紙は、1999年11月に「菅家さんを支える会・滋賀」に届いた手紙です。
当時は東京拘置所に収監されていました。(刑事達の名前は伏せ字にしました)
現在は千葉刑務所です。すでに事件から19年が経過し、菅家さん不当逮捕から17年が経過しています。
足利事件については新聞やテレビ報道で事件・裁判の概略が掲載されていますが、後ほど、事件名当時のいろいろな状況について書き込んでいきたいと思います。
直近の話題としては
5月16日から17日にかけて、足利市内で現地調査が実施されます。
主催は足利事件弁護団です。
また、5月17日の深夜、つまり日付は18日ですが、
17日の深夜24:30~25:30 毎日放送(4ch)で
「ドキュメント 映像09」という番組で
「足利事件と飯塚事件」の一時間番組が放映されます。
http://www.mbs.jp/eizou/
なお、足利事件の詳しいことについては
菅家さんを支える会・栃木
http://www.watv.ne.jp/~askgjkn/ へ