自分史2=沖縄と私その1

2009年01月09日




沖縄と私【その1】




 沖縄問題に関わり始めて、まだ9年しか経っていない若葉マークの私が偉そうなことなど言えるはずもありませんし、そんな資格もありませんし、そんな器でもありません。
 ただ、この9年間で感じたことを率直にお話ししたいと思います。



 まず、私が沖縄問題に関心をもちはじめたのは、わずか9年前のことです。
 それ以前に、1970年代、それなりに沖縄という言葉を口に出してはいましたが、でも、その時は沖縄の歴史や現実を知らない まま、ただただ政治スローガンとしての沖縄を出していたに過ぎないと、今は反省しています。



 1999年8月1日、とある団体の事務局に就職しました。



 その翌年の夏、2000年7月20日、沖縄でサミット(主要国首脳会議)がありました。
 この時まで、お笑い話なんですが、沖縄に行くなんて思いもしていませんでした。
23年もの間、狭い地域の中で新聞配達しかやってこなかった人間が、飛行機に乗る機会もなかったし、また、乗ろうとも思いませんでした。だいたい、鉄のかたまりが空を飛ぶなんてあり得ないとずっと思っていたんですから。
それが、その団体の事務局員を中心に何人かの「仲間」とともに沖縄にはじめて足を踏み入れました。

 感激でした。

 同行していたのは、1995年に起こった米兵による少女暴行事件をきっかけにして、関西でも沖縄と結びついて闘おうという人たちで作っている実行委員会でした。
 この取り組みは、沖縄サミットの機会を捉えて、人間の鎖を作って嘉手納基地を包囲し、基地撤去を訴えるというもので、沖縄の熱さも感じず、その歴史的瞬間に自分がいることに感動しました。
 このあと、バス二台に分乗して、辺野古現地では地元の方々から普天間基地の辺野古移設を絶対に止めていくという強い挨拶を受けたり、名護市内で開かれた沖縄サミットに反対する集会に参加したり、読谷村にある彫刻家のアトリエや残波岬などを見学しました。
 しかし、その途中でとんでもない場面に遭遇しました。



というのは、一緒に参加していた滋賀県の男性が、バスの中で前の席に座っていた、この方も大阪から参加された女性なんですが、この女性の身体を触りはじめたんです。
しかも、酒にひどく酔った状態で、「おれは○○○○(団体名)の◯(個人名)や」と叫びながら。



 被害を受けた女性の隣りに座っていたその女性の母親が
 「あんた、いまなにやったか、わかってるんやろな。なにが○○○○や」と男性に鋭く抗議しました。
 私はなにが起こっているのかわかりませんでしたが、でもすぐに事態が読めました。
 しかし、当の本人は酒に酔いつぶれ、自分の座席で寝てしまったんですね。
恥ずかしかったです。
同乗していた私たちの仲間が即座に「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」とバスに乗っていた全員に謝罪したのですが、この男性の口からは今になってもこの件についての自己批判、反省の弁は聞かれません。
 たぶん自分がなにをしでかしたかの自覚もないんでしょう。
 私はこの「事件」をきっかけに、この男性との関係に見切りをつけました。

(つづく)

タグ :沖縄自分史


Posted by つむぐ at 14:54│Comments(0)
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