自分史2=沖縄と私その5

2009年01月15日






沖縄と私【その5】



 県内でも三線やエイサーをやっている人たちが増えました。大学から小学校、学童保育所でもエイサーをやる時代なんですね。でも、エイサーをやって癒されているのは、元気が出ているのは、私たちヤマトゥンチュの方だけではないのでしょうか。
 今の今まで三線やエイサーを異文化だといって蔑んでいた私たちが、琉球・沖縄の歴史を勉強もせず、ただカッコイイとか言って、演じている姿には、恥ずかしくなってきます。立場が逆だったらどう思うでしょうか。

 滋賀県内で生活しているウチナーンチュが自らの出身を名乗れずにいることを考えもしないで。


 話を変えます。
 1995年9月4日、沖縄本島中部で11歳の女子小学生がキャンプ・ハンセン所属の海兵隊員3名によって暴行された事件。
ああ、あの事件かと、まだ記憶にあるかとは思います。
 この事件は、3名の兵士がレンタカーを借り、小学生を待ち伏せして拉致し、用意した粘着テープで目や口をふさぎ、手足を縛ったうえ、車に乗せて連れ去り、次々とレイプしたという、全くむちゃくちゃな事件でした。
この事件は沖縄の置かれている姿を全国に映しだしました。


 しかし、「本土」では、その事件以降も発生している女性や子どもに対するレイプ事件を取り上げず、さも、この事件は終わったかのような静けさに陥ってしまいました。この事件の後も次々と事件が起こり続けているのにですよ。
 このあまりの卑劣な事件に対し、その年の10月21日、沖縄では10万人という人々が参加した抗議集会が開かれました。

 滋賀県からも何人か参加したそうですが、その中には、とある職場の新聞の一面を使って「沖縄の人々の思いに連帯する」と決意を込めた長文を掲載した方もおられましたが、残念ながら、その方もいまでは沖縄の「お」の字も語らなくなってしまわれています。なぜなんでしょうか。



 2001年9月11日、世界貿易センタービルや国防総省・ペンタゴンを襲った事件、この大事件も実はアルカイダが実行したのではなく、ブッシュ政権が石油の権益を我がものにするためにイラクへの戦争を仕掛けた、やらせだったのではないのかという疑惑が次々と出されていました。

 ま、その解説は別の機会にということで。

 で、あの後、沖縄への修学旅行が激減しました。
 理由は「次の標的は米軍基地。テロの危険がある沖縄に子どもたちを行かせるわけにはいかない」というのが学校や保護者の圧倒的な声でした。
 そうだと思いますが、でも、この意見、おかしいと思いませんか。
 「9.11」があったから危険になったのではなく、1944年から60年間も、そのような危険な状況に置かれていたのが沖縄であり、いつも戦争という危険と隣り合わせで生活している人たちのことがすっぽり抜けていると思いました。

 そのような厳しい現実に思いを馳せない、巡らせない、考えない、自分たちの子どもさえ安全なところにいれば、それでいいという意識のあらわれではないでしょうか。


 ある方は、「沖縄大好き」って言う人に、いくら基地、戦争、歴史を抜きにして沖縄を語るなって言っても、情報量が違うんだから、頭ごなしに言うべきではないとおっしゃっていました。

一理あるようなないような意見です。情報量。ウチナーンチュ以上に沖縄の観光名所を知っているヤマトゥンチュに情報量が少ないって、信じられません。要は、自分勝手な沖縄をイメージし、描いて、自分には関係ないと勝手に判断して基地問題を避けているだけなのではないのでしょうか。

(つづく)

タグ :沖縄自分史


Posted by つむぐ at 01:15│Comments(0)
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