自分史2=沖縄と私その7

2009年01月17日



 あなたが面と向かって差別発言を受けたとき、あなたはどのような態度、行動に出ますか。
 差別発言をした相手の顔を思いっきりぶん殴りますか、
 諭すように「それはちょっと言い過ぎやで」と間違いを指摘しますか、
 裁判所に名誉毀損で訴えますか、
 あまりの発言にショックを受け、一人自分の手首に傷をつけますか、命を絶ちますか。



 差別された人がどんな行動に出ようが、周りにいる私たちはその差別の重みについて考えるところから出発しないといけないんじゃないのでしょうか。差別された人の思いを共有するところからはじめなければならないと思います。
 それを、知ったかぶりのような態度で、大上段に構えて「抗議の方法が間違っている」などという態度は、差別した側に身を置いた発言でしかないと思います。どうでしょうか。



 その他には、体調を壊し、〇〇市内の病院に診察で訪れた沖縄出身の男性に対して、看護師が「沖縄の人って、日本語がお上手なんですね」と発言。あまりにも度はずれた言葉に、その男性は黙ってしまったそうです。40年もえわ年も前の話ではありません。ついこの間の話です。
 〇〇町にある自動車工場の男子トイレの壁には「沖縄人は沖縄に帰れ」との落書きがあったそうです。
 沖縄出身の女性は県内の男性と結婚する際、男性側の親が男性に「なんで日本人と結婚せんかったんや」と話しているのを聞いたということです。
 という具合に、「ちゅらさん」以降の、いわゆる沖縄ブームのウラで、沖縄出身というだけで差別したり、偏見の目で見たりしている現実の姿があるのです。



 沖縄の人たちが望んでもいないのに基地を押しつけ、そのことに何の痛みも感じない「本土」の私たち自身の中にはっきりとした差別意識があります。いやいや、「私はそんなことちょっとも思っていない」「沖縄の人とも仲がいいよ」と言われる方がいるかも知れません。いえ、そういう人の方が多いと思います。ですが、主観的にいくら否定されようと、ひとつの差別事例やいじめに対して、傍観的な立場にいること、見ていても、知っていてもなにも声を上げないことは、差別やいじめの側に加担していることと同じように、沖縄に基地を押しつけ、なにも声を上げないことは、すなわち傍観者であり、差別の側、基地を押しつけている側に身を置いていることに他なりません。

(つづく)


タグ :沖縄自分史


Posted by つむぐ at 01:17│Comments(0)
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