ちと、長いんですが読んでください

2009年03月07日

アメリカ軍が沖縄に上陸した1945年3月末、日本軍との集団戦闘が終わった6月下旬、それから一年間の米兵による沖縄女性に対する性犯罪を時系列に書き込んでいきます。




それでも私たちは、私たちが「好きな沖縄」の中にある避けて通ることができない基地の存在から意識的に目をそらし続けていきますか。





1945年
8月16日
25歳の女性、義母と野菜を摘んでいたところ、3人の米兵に山中に連れ込まれ強姦される。(玉城村)


8月20日
義母と食糧探しのため海岸に出た19歳の女性、米兵に捕まり強姦される。翌年男児を出産。(玉城村)


8月21日
友人二人と子どもをおぶって薪取りに出かけた31歳の女性、米兵3人に拉致され消息を絶つ。(宜野座村)


9月8日
子どもをおぶってヨモギを摘んでいた39歳の女性、四人乗りの米兵のジープで拉致され、カーブで道端に放り出される。背中の子どもは死亡。(羽地村)


9月24日
男性2人と石川の収容所に親戚を訪ねていく途中の19歳の女性、子どもをおぶったまま3人の米兵に拉致される。男性二人は米兵に銃剣を向けられ抵抗できず。母子は二年後に白骨死体で見つかった。(石川市)


10月24日
46歳の女性、道路で米兵2人に襲われそうになり、崖下に飛び降りて大腿骨折。その後、追いかけてきた2人に強姦される。(本部町)


10月25日
家屋を失って岩の下で生活していた35歳の女性、夜、トイレからの帰りに米兵2人に強姦される。翌年男児を出産。(知念村)


この年はその他に


勝山で3人の女性が2人の米兵に強姦される。女性の一人は米兵の子を出産するが、子どもは夫に殺される。


宜野座米軍野戦病院に収容された重傷の女性をMPが強姦するのを沖縄人労働者が目撃。


米兵に襲われた16、7歳の女性、全裸で放置されているところを住民に発見される。


母親の目の前で、娘が米兵に拉致される。母親は大声で助けを求めながら米兵の手から娘を奪い返そうとしたが、足蹴にされ、娘は連れて行かれる。その後不明。(宜野座村)




1946年
1月6日
芋掘りをしていた29歳の女性、2人の米兵に強姦される。(石川市)


1月21日
草刈り作業中の19歳の女性、米兵に森の中に連れこまれ、ナイフで頬を切られたあと強姦される。その後妊娠、女児を出産。(兼城村)


3月10日
農作業中の30歳の女性、米兵3人に拉致、強姦される。12月に男児出産。彼女の姉も前年、出産直後寝ていたところを米兵に拉致されそうになったが、住民の騒ぎで未遂に終わった。(具志川村)


4月6日
19歳の女性、芋掘り作業から帰る途中、米兵四人に拳銃で脅され、交代で強姦される。(浦添市)


4月7日
芋掘り作業から帰る途中の26歳の女性、米兵6人に拉致され、防空壕内で強姦される。(北谷村)

4月7日
夕食を終えて夫と雑談中の28歳の女性、土足のまま部屋に侵入してきた米兵3人に夫の前で強姦される。(首里)


5月20日
芋掘りをしていた29歳の女性、米兵に拉致され付近の山中で強姦される。(真和志村)


6月7日
40歳の女性が収容所から自分の畑に芋掘りに行く途中、山中から出てきた米兵に捕まり強姦される。息子からの知らせを聞いて救出に駆けつけた住民は、拳銃を威嚇され近寄ることができなかった。(具志川村)


6月9日
25歳の女性、畑に行く途中、3人の米兵に拉致され、強姦される。(小禄村)





これはあくまで表沙汰になった分だけです。



終戦直後の異常な社会だったとはいえ、このような女性を性処理、性の欲望のはけ口としてしかみない米兵による暴力事件が、1995年の米兵による少女暴行事件につながり、2007年の少女暴行事件につながり、そしてその蛮行は今も続いています。
戦争だったから仕方ないのでしょうか。
じゃ、誰が何のために行った戦争なんですか。


この沖縄の現実から目を背けてはいけないと思います。



沖縄が好き
それを上から目線でとがめたり、非難しているのではありません。


日本とは違った空気を感じる沖縄。那覇空港に降りたったときの、何ともいえない感情。


でも、その那覇空港に着陸する2、30分前から、気がついている方もいらっしゃるとは思いますが、飛行機は伊江島あたり、沖縄北部から本島の西側を低空飛行します。あれは近づく沖縄を見せたいために低空飛行しているわけではありません。あの高度でしか飛べないのです。
なぜか。
それ以外の空域は米軍が握っているからなんです。


つまり、あの飛行ルート以外は軍事空域なんですね。


そういう事実も知りましょう。


小難しくも難しくもないんです。
私たちは難しいと勝手に判断して避けているだけではないのでしょうか。


毎日どこかで行われている不発弾処理。先日は作業員が不発弾が爆発して大けがを負いました。
沖縄本島に眠る不発弾を完全に処理するのは50年かかると言われています。


日本からの観光客が日焼け対策もせずにきゃっきゃきゃっきゃ騒いでいる青く澄んだ海と白いビーチ。私は地元の方からこんなことを言われました。
そこは60年前、流された住民の血で真っ赤だったと。


米軍の大型ヘリが大学に、畑に墜落してくるのです。


交通事故で加害者の米兵が公務中だと言えばおとがめなしなんです。
おかしいと思いませんか。


私たちが大好きな沖縄で、こんなことがまかり通っているんですよ。



沖縄の人は進んで基地を受け入れたわけではありません。戦争のど最中からその後も銃剣とブルドーザーで有無を言わさず土地を奪われ、先祖の墓もフェンスの中になってしまい、お墓参りもできない人がいっぱいおられます。


でも、観光客にはそんなつらいことを一つひとつ話されるわけではありません。つらい思いをぐっとこらえて、観光客をあたたかく迎えられているのではないのでしょうか。

人それぞれが楽しんだり喜んだりするのはあたりまえです。
ですが、それを言うなら、沖縄の人たちも楽しんだり喜んだりするんです。
ああ、うまく言えないなあ。


つまり、私たちが楽しむ沖縄にはつらい思いに耐えている人たちがたくさんいて、ひょっとして、その人たちのつらい思い、体験に土足で入っていっているかもしれないのです。


一回でまとまらないので続きます。



Posted by つむぐ at 08:37│Comments(0)
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