この機会に

2009年04月18日




生い立ち


幼稚園の頃、先天性の心室中隔欠損症だと診断されました。右心室と左心室を隔てる壁に6㎜の穴が空いています。
手術はせずに今に至っています。
小学校5年生の夏休みに「敗血症」を患い、5年の二学期から6年、中学校の1年、2年は半分から三分の一欠席していました。

高校に入学するも、脱サラをして牛乳屋を立ち上げたばかりの父親が病に倒れたために、やむなく中退。高校在籍はわずか1ヶ月でした。
それ以降、牛乳配達に没頭するも、18の時に廃業。そして、同じ朝が早い仕事=新聞配達の現場に入ります。
またまたこれが、自分にあったというのか、これしかできなかったというのか、20年ほど、新聞販売、配達の世界に足を染めてしまいました。

その後、バイクをトラックに乗り替え(運送会社)、北は宮城の塩竃、南は島根の浜田まで、あるいは滋賀県内を走り回りましたが、体調の変化もあって、この世界ともおさらばしました。

で、小さな小さな会社で働いていたところを知り合いから転職を進められ、今に続く仕事について、かれこれ10年が経ちました。







沖縄



沖縄でサミットが開かれた2000年7月、米軍嘉手納基地を人間の鎖で包囲し、基地の撤去のために声を上げようという行動に参加しました。沖縄に行ったのがこの時はじめてでした。
それ以来、米軍基地の撤去を求める沖縄の人たちの思い、願い、そして闘いに学びながら、滋賀の地で行動しています。
2005年12月からは有志で「辺野古に基地はいらない滋賀行動」を立ち上げ、毎月第1と第3の土曜日に草津駅前で街頭宣伝活動に取り組んでいます。本日の行動で81回目を数えました。
いろんな人との出会いを大切にしながら、沖縄の基地問題は沖縄の問題ではなく、日本全体の問題だということを訴え続けていきたいと思っています。

2004年からは毎年、沖縄平和学習ツアーを実施し、観光では味わえない沖縄の基地と隣り合わせにある現実を見る取り組みを続けています。2008年は中止しましたが、今年2009年は6月23日(沖縄・慰霊の日)、5回目のツアーを企画しています。







肝炎


2002年12月、職場の健康診断で「肝機能異常あり」と言われ、その流れで肝炎ウイルス検査を受けたところ、はっきりとウイルス性C型肝炎に感染していると「太鼓判」を押されました。
いろいろ悩んだ末、2003年9月からインターフェロン治療を行いました。
副作用がつらくて、泣いたこともありました。貧血でぶっ倒れたこともありました。
食欲も奪われ、連れ合いが作ってくれた「おかゆ」すら口に運べなくなったときは、壁に向かって号泣してしまっていましたが、その姿を見て「このまま死んでしまうのか」と連れあいも泣いていたのを思い出します。
2005年4月以降、陰性をキープしています。
インターフェロン治療の過程で県内の肝炎患者会が発足し、いまも自分なりに会の活動に取り組んでいます。
2008年1月、「薬害肝炎被害者救済法」が成立し、また同年4月から「インターフェロン治療費助成制度」が出来ましたが、肝炎問題は終わってはいません。 全国350万人の肝炎患者の救済のために、滋賀県内3万人以上の肝炎患者の救済のために、自分の出来る範囲で、この問題の緊急性を訴えていきたいと思っています。
ご存じですか!
肝炎が原因で毎日毎日120人が、亡くなっていることを。
肝炎の原因は酒の飲み過ぎじゃないってことを。







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ま、こんに拙いブログですが、皆さん、よろしくお願いいたします。


ハプニングランキング というか、サプライズランキング というか、
どちらにしても、あとはランキングが落ちていくだけなので
この機会に、この拙ブログを紹介させていただきました。











タグ :沖縄肝炎


Posted by つむぐ at 23:10│Comments(0)
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