ブームの裏側で

2009年04月28日





106年前の1903年、大阪で政府主催の「内国勧業博覧会」が開かれた。その一角に「学術人類館」が設けられ、アイヌ民族を始め台湾の先住民族、琉球(沖縄)人、朝鮮人、中国人などが集められ、生きたまま陳列された事件があった。これを「人類館事件」という。


86年前の1923年、関東大震災では6000人もの在日朝鮮人や中国人などが差別に基づくデマ(「井戸に毒を入れた」「騒乱を引き起こす」など)で自警団などによって虐殺されたことは有名ですが、実は、沖縄出身者も「日本語を充分に話せない」を理由に殺されていました。


64年前の1945年、沖縄は「本土防衛のための捨て石」にされ、アメリカ軍からだけではなく、「味方」であった日本軍からも虐殺された。そして、敗戦。施政権がアメリカ合衆国に売り渡され、沖縄の人々を「人間以下」の生活の過酷な生活を強制しました。


39年前の1970年、沖縄出身の青年が東京タワーを占拠し、「日本人は沖縄のことに口を出すな」「沖縄のことは沖縄に任せろ」「アメリカは沖縄から出て行け」と鋭い糾弾を浴びせた事件がありました。しかし、「本土」のマスコミはこの青年の行動を「狂人」扱いし、社会から抹殺しました。


37年前の1972年、「核抜き、本土並み復帰」の願いを踏みにじり、「在留米軍基地」の75%を沖縄に押しつけたままの「復帰」になりました。「日本」はその犠牲の上で「戦後の平和と経済発展」を謳歌してきました。


14年前の1995年、少女が3人の米兵に暴行される事件があり、大きな社会問題になりました。この事件に限らず、米兵による放火、殺人、暴行、強盗、ひき逃げなどの凶悪な事件が相次いで起きています。


県内においても、小学校の子ども同士の喧嘩の中で「おまえはエイサーをやっているから琉球人だろう」という差別発言が飛び出したり、病院に診察に行った男性に向かって看護士が「沖縄の人は日本語がうまいですね」と発言したり、沖縄出身というだけで結婚差別を受けたり、「沖縄人は沖縄へ帰れ」と大手の会社のトイレに落書きがあったりと、「ちゅらさん」以降の沖縄ブームの裏側では、依然として「沖縄(人)」にたいする差別や偏見が根強く残っている現実があります。
 また、人権の看板を掲げたステージで沖縄差別発言があり、それを擁護する人たちも現れるなど、沖縄差別の問題が理解されていない、理解しようとしない現実も横たわっています。



「沖縄」。。。この響きから連想するイメージと、そのイメージが実際は「本土」の人間が勝手に作り出している姿であることに、気づいてください。



タグ :沖縄


Posted by つむぐ at 18:00│Comments(0)
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