石に刻む
2009年12月29日
私は以前、ある準公的な団体の一役員として名を連ねていたんですが、何の予告もなく排除された経験があります。
何の予告もなくというところが味噌で、これは私の存在を否定した汚いやり方だと感じました。
えーっ、あんたたちがそれをやるかって感じでしたね。
悔しいですよ。自分の存在を否定されるのって。
そこまでするなら、それ相応の対応をするまでだと腹に決めました。
あれから3年。その気持ちは変わらないでいます。
最近、それとよく似たことがありました。規模は違うけれど。
ある時、同じ趣旨の集まりが盛大に行われ、私も参加して、有意義な時間を共有できたと感じていました。草津駅での別れ際には、また会おうとの余韻を残して。
しかし、なぜか、その集まりはそれ以降も続けられていたのです。
私はつい最近まで知りませんでした。つまり、私ははずされたのでした。
集まりが続けられている理由は理解できるのですが、私がはずされた理由がわからりません。
こんな輩の同席はいやなのか、それとも他に理由があるのか。
排除された人の気持ち、それ以降も集まりを続けている方にわかるだろうか。わからんやろうなぁ。
そんな集まりには二度と参加しないと決めているので、もうどうだっていいんだけど。
でも、滋賀咲くの中でそんな排除の論理が生きているなんて、ショックでしたね。
差別やいじめ、仲間外れをする方は簡単に水に流すけれど、された方は石に刻み込むように心に傷が残ってしまうこと、理解できますか。
おつきあいありがとうございました。
Posted by つむぐ at 19:22│Comments(0)
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