新年早々ひとりごと

2010年01月03日


肝炎被害者の一人としてこれだけは言いたい。


肝炎問題、そりゃぁ、医療の問題であり、福祉の問題であるけれど、


きわめて差別・人権問題でもあったわけよ。


でもさ、既成政党はそれなりに、頑張って取り組んでいたけれど、


それ以外の、昔で言うところの「新左翼」。(←この言葉も古いなぁ)


その「新左翼」と呼ばれる人たち、個人であろうが、党派であろうが、


何一つ取り組んでいる姿が見えなかったのは、何か理由があるんやろうか。


ある人は、「肝炎問題の解決は革命ですよ」なんて、言っていました。


アホクサ。


「革命」そのものは否定しないし、今日の行き詰まり感、閉塞感を唯一打破できるのは


「根本的な変革」。つまり弱肉強食の資本主義ではない社会を作るための「革命」しかないと思っているけれど、


だからといって、目の前の、毎日毎日120人が命を奪われている厳しい現状を少しでも改善するための努力をすることなく、本当に骨の折れる、患者一人一人の声と向き合って、明日の命を保障していくための、制度・政策を一日でも早く実現させていく努力をすることなく、教条的なスローガンをがなり立てて、毎日毎日120人の命が奪われている現実を見ようとしない考えには納得がいきませんでした。どこの党派かは書きませんが。





話は少し変わるけれど、以前、というか、ずっーと昔、新聞販売店で労働組合を作ろうとしたときに相談に乗ってもらった、ある政党の人は


「そんな水商売みたいなところで、労働組合なんて無理無理」だと言って、支えてくれなかったことがありました。


そりゃあ、新聞販売店なんて、国を動かしている基幹産業じゃないし、インテリが作ってやくざが配る仕事みたいに、社会的なイメージがついた仕事だったけれど、だからといって、世の中を変えようとしている人たちが、仕事に貴賤をつけてどないするねんって、思っていました。こんな人たちにとって、今日の、風俗関係の職場で、あるいはキャバクラで労働組合が出来るなんて、考えられないんだろうなあ。


なんなんだろうねぇ。


米軍のヘリや戦闘機が、なんかの間違いで、県内のどこかの町、密集した住宅地に墜落炎上でもしない限り、沖縄の置かれている厳しい現状なんて、理解されないんじゃないかと、最近、思うようになってきているんやねえ。これが。怖い発想や。


街頭で、辺野古新基地建設反対の署名を集めていると、「へのこ」と読んでもらえるようになってきたのは確かだけれど、署名活動への協力を呼び掛けても、うんともすんとも返事が返ってこないし、「署名用紙送って下さい」とか「その時間帯は動けないので、署名用紙、別の日に届けてほしい」なんてのもないし、「頑張ったはるねえ。いつも応援してますよ」なんて言葉で、自分は何もしないということをオブラートに包んでしまう。





飲んで喰って大騒ぎもええやろうけれど、そんなんで大丈夫?







独り言を言うときは、その言葉の矛先はいつも自分に向いているんですね、これが。



去年までの「つむぐ」とチョット違うの、わかります。


自分に正直になろうと、努力してまんねん。




Posted by つむぐ at 19:22│Comments(0)
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