昨日から今日

2010年02月22日




昨日から今日




昨日から今日。


足利事件の菅家利和さんと行動をともにしていました。


昨日21日、日野町のホテルの前で菅家さんを迎え、一路、野洲へ。


野洲のアルプラで開催されていた、というか、開催直前の「人権YASU2010」におじゃまし、主催者の方に挨拶。


突然の菅家さんの登場に、会場はどよめいていました。


菅家さんの短いアピールもあり、15分くらいの滞在でしたが、席を立つときに万雷の拍手で送っていただきました。


その後、湖周道路を一路彦根へ。


旧市立病院跡の駐車場に車を止め、彦根城へ。


実は菅家さん、大の時代劇、お城ファン。


石段を上がり始めたとき、ガイドのユニフォームを着た男性に、振り向きざまに


「あれ、利和さん!」と大きな声で叫ばれてしまいました。


菅家さん、顔がわからないようにとマスクをしていたにもかかわらず、


バレバレでした。


しかも、ガイドの男性は「菅家さん」ではなく、「利和さん」と。


その後、博物館を見学しているときも、天守に上っているときも


観光客がじろじろこちらを見ています。


「自分の目の前に、あの菅家さんがいるなんて」という気持ちと


「声をかけたいけれど、もし人違いだったら恥ずかしい」みたいな気持ちが混ざっている奇妙な視線があちこちから、感じられました。


菅家さん、これまで北海道や九州に行ったら顔晴れは大丈夫だと思っていたそうですが、実際はそんなことはなく、あちこちで名前を呼ばれていたそうです。


「タレントじゃないんだからそっとしておいてほしいよ」と、釈放後の慣れない環境にとまどいが隠せない様子でした。


彦根城を後に、夢京橋で昼食をすませ、草津へ引き返しました。


夕方4時から1時間だけでしたが、草津公民館で緊急の呼びかけだった「菅家さんを囲む会」を開きました。


1990年5月12日、4歳の女の子が何者かに誘拐され殺害された事件の時、菅家さんは何をしていたのか、1991年12月1日、刑事ら6人が菅家さんの家に上がり込み、「容疑者」として逮捕していったときの暴力的な様子など、怒りを込めて語られました。


ホテルにチェックイン後、「金燕の家」で食事会。


肝炎患者会の方、草津市議会議員さん、労働組合の方、そして、新聞記者の方などが、「金燕の家」さんの美味しい中華料理を堪能しながら、時間の経つのも忘れて懇談しました。



ホテルに戻り、キーを渡してもらうときに「菅家です」とフロントに声をかけたとき、たまたまチェックインしていた女性から「えっ、あの菅家さんですか。お疲れ様でした。みなさんは、支える会の方ですか」と声がかかってしまいました。


「支える会」ってネームプレート、どこにも身につけてなかったんですが。。。



今日は、ホテルに迎えに行き、私の職場で少し用事を済ませ、161から琵琶湖大橋を渡って一路、米原へ。


途中、彦根駅前の平和堂で少し早い昼食を取り、土産を購入。


車の中では、事件のこと、拘置所・刑務所の中での出来事、釈放直前のこと、釈放後も続くごたごたなど、文字には出来ないことを一杯、一杯話してくれました。


手をたたいて大笑いするほどの冗談を飛ばしあったりして、とてつもなく、楽しい1日半でした。









Posted by つむぐ at 15:30│Comments(0)
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。