沖縄報告 その2

2007年10月02日

辺野古を11時半頃に出発し、沖縄自動車道・伊芸SAで昼食。
沖縄まで来て「生姜焼き定食はないやろ!」と、一人つっこみをしながら、とりあえず満腹感に浸りました。

沖縄南ICを出て、北谷町役場までそんなにかからず、スイスイと走行。
「県民大会参加者はこちらへ」と書いた看板に従って車を進め、誘導員の指示で停車。
北谷町役場前から会場までのシャトルバスに乗ることに。片道100円。
15分ほどで会場に。13時過ぎに到着。
この時点で周辺6カ所からシャトルバスがひっきりなしに会場に参加者を運んできていました。

沖縄報告 その214時からアトラクション。15時から大会なのでまだ少し時間があった。
しかし、会場には次々と人が押し寄せ、瞬く間に立錐の余地がなくなってきます。

「琉球独立」の旗が2本、翻っています。

14時から「世界平和宣言の歌」「創作ダンス」「渡嘉敷島『白玉の塔』の祈りの曲と解説」「手話ダンス」が舞台上で披露され、大会の雰囲気を盛り上げていました。

さあいよいよ大会の開始です。

が、私は木陰に避難しました。暑いんですよ、ほんとに。35℃なんですから。
午前中、辺野古で一汗かいたあと、伊芸SAの売店で買ったTシャツがすでに汗でぐっしょりになってきていました。

沖縄平和祈念堂管理事務所長の比嘉正詔さんの司会ではじまり、まずは沖縄県PTA連合会会長の諸見里宏美さんが県民へのアピール、大会実行委員長の仲里利信沖縄県議会議長のあいさつ、仲井真弘多沖縄県知事のあいさつ、中山勲沖縄県教育委員会委員長のあいさつ、と続きました。

各団体代表挨拶として、沖縄県市長会会長の翁長雄志那覇市長、読谷高校三年生の津嘉山拡大くんと照屋奈津美さん、渡嘉敷村教育委員会委員長の吉川嘉勝さん、沖縄県婦人連合会会長の小渡ハル子さん、沖縄県子ども会育成連絡協議会会長の玉寄哲永さん、沖縄県青年団協議会会長の照屋仁士さんらがそれぞれ戦争体験者として、女性の立場から、子ども会の立場から、青年の立場から教科書の検定意見撤回を求めるアピールが行なわれました。

特に印象に残ったのは、新聞やテレビなどで報道されていて、ご存じの方は多いと思いますが、読谷高校三年生の二人の発言です。

「『沖縄戦での集団自決に日本軍の強制があったという記述は、沖縄戦の実態について誤解するおそれがある表現である』
ある日の朝、私の目に飛び込んできたこの新聞記事。私は『誤解』という検定意見書の言葉に目を奪われてしまいました。この記述をなくそうとしている人たちは、私たちのおじぃ、おばぁたちが、うそをついているとでも言いたいのでしょうか。それとも思い違いだったといいたいのでしょうか。
私たちは戦争を知りません。ですが、一緒に住む、おじぃ、おばぁたちから戦争の話を聞いたり、戦跡を巡ったりして沖縄戦について学んできました。おじぃ、おばぁたちは重たい口を開き、苦しい過去を教えてくれました。死体の山を越え、誰が敵で誰が味方かわからなくなる怖さ、大事な人を目の前で失う悲しさ、そして悲惨な集団自決があったことを・・・(後略)」


教科書審議会には沖縄戦を専門分野とする、いわゆる識者が一人もいなかったと言うことです。

実態を知らない人たちが歴史を改ざんしようとしているのです。
そして、それに対して、「本土」ではどれほどの異議を唱えたのでしょうか。
私は恥ずかしくてたまりません。

そんなことだったとは知らなかったといういいわけは言いたくありません。
人を傷つけておいて、知らなかったからという弁解は通用しないからです。

沖縄報告 その2会場の周辺では、高江の人たちが請願署名を訴えています。
あとでブログで知って、驚きました。
なんと、この日、集まった署名は2500筆だとか。信じられないですよ。ほんとに。

大会は15時から16時半までです。
16時頃に、本部から大会参加者数が発表されました。

「10万人が参加しています。先ほど呼びかけた会場カンパは678万円です。この浄財は来月の上京団の派遣に使わせていただきます」と。

ここでもう、私は身体がふるえていました。

私の隣に座っていた女子中学生3人組。どこにでもいるような3人でした。片手に携帯を持ち、なにやらひそひそ。しかし、彼女らは違ったんです。ひそひそ話は私語ではなくて、会場で次々と発言している内容についての意見を交わしていたんです。そして、発言が終わると力強く賛同の拍手を打ち続けるんです。

感動しました。すごい。

そして、本部から二度目のアナウンスがありました。
「参加者は12万人です。周辺からは会場に行きたいのでもっとシャトルバスを出してほしいという要請があります」

沖縄報告 その2つまり、私たちが出発した北谷町役場のようにシャトルバスを出しているところにはまだ大会に参加する人たちがバスを待っていると言うことなんです。

会場はもう立錐の余地が無くなり、会場周辺もひと、ひと、ひとであふれかえっています。

大会は、沖縄県高等学校PTA連合会会長の西銘生弘さんによる大会決議の提案、そして最後のがんばろう三唱に入っています。
ふつう、よくあるパターンで会場からはみ出している人たち、もっと言うと、単に数集めのための動員できている人たちは、会の進行とは別の会話をしたりして、大会で何が話されているのかちんぷんかんぷんなことがよくあります。私はこういう光景をよく見ています。
しかし、別に沖縄ひいきでも何でもなく、この大会は違っていました。
みんな真剣なんです。
最後のがんばろう三唱では、会場周辺で入りきれなかった人たち、木陰で涼をとっている人たち全員が立ち上がり、拳を振り上げているのです。

人が見たら、「なに泣いとるんや、このおっさん」と言われていたかもしれません。
涙が止まらないのです。こみあげてくるんです。

こんな感動、もう無いかもしれない、そんな感じです。

秋の高校野球の試合を一時中断して、ユニフォーム姿で参加している高校生がものすごくいるし、「我如古自治会」と書いたのぼりをもって参加している町内会の人たち、杖をついて、車いすを押して、孫の手を引きながら、専門学校の生徒達は自分たちがつくったボードでアピールしているし、もう、自分がこの場にいることが信じられないほど感動していました。

県民大会への参加で、逆に「本土」に住む私たちが問われてきました。

「あなたたちは、自分たちの歴史をゆがめ、生活を苦しめる国のやり方に本気で立ち向かっているのか」と。

みなさん、「沖縄問題」は「沖縄の問題」ではありません。
沖縄のことをもっともっと知っていこうじゃありませんか。
沖縄報告 その2




Posted by つむぐ at 22:38│Comments(0)
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