峠三吉の「八月六日」
2008年07月28日
八 月 六 日
峠 三吉
あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされて暗闇の底で
五万の悲鳴は絶え
渦巻くきいろい煙がうすれると
ビルディングは裂け、橋は崩れ
満員電車はそのまま焦げ
涯しない瓦礫と燃えさしの堆積であった広島
やがてボロ切れのような皮膚を垂れた
両手を胸に
くずれた脳漿を踏み
焼け焦げた布を腰にまとって
泣きながら群れ歩いた裸体の行列
石地蔵のように散乱した練兵場の屍体
つながれた筏へ這いより折り重った河岸の群も
灼けつく日ざしの下でしだいに屍体とかわり
夕空をつく火光の中に
下敷きのまま生きていた母や弟の町のあたりも
焼けうつり
兵器廠の床の糞尿のうえに
のがれ横たわった女学生らの
太鼓腹の、片眼つぶれの、半身あかむけの、丸坊主の
誰がたれとも分らぬ一群の上に朝日がさせば
すでに動くものもなく
異臭のよどんだなかで
金ダライにとぶ蠅の羽音だけ
三十万の全市をしめた
あの静寂が忘れえようか
そのしずけさの中で
帰らなかった妻や子のしろい眼窩が
俺たちの心魂をたち割って
込めたねがいを
忘れえようか!
Posted by つむぐ at 17:30│Comments(2)
この記事へのコメント
想像するだけで恐ろしい世界なのに、
これが現実のことで、数え切れない方々の命を奪い、
残った方々も忘れようのない傷なんですよね。。。
経験して、沢山の尊い犠牲をもって、やっと気付いた愚かな過ち。
もう二度と犯してはならないし、
世界にもそう伝えていかなければならないはずのことなのに、
いま この国は何をしようとしているんでしょうね。。。
そんなにお金が動くことなんでしょうか。。。
それとも もっと利益の上がること?
命に代えられるものなんて存在しないのに。
って、私は思います。
これが現実のことで、数え切れない方々の命を奪い、
残った方々も忘れようのない傷なんですよね。。。
経験して、沢山の尊い犠牲をもって、やっと気付いた愚かな過ち。
もう二度と犯してはならないし、
世界にもそう伝えていかなければならないはずのことなのに、
いま この国は何をしようとしているんでしょうね。。。
そんなにお金が動くことなんでしょうか。。。
それとも もっと利益の上がること?
命に代えられるものなんて存在しないのに。
って、私は思います。
Posted by はる。 at 2008年07月31日 00:04
はる。さん
今年は3年ぶりに「8・6広島集会」に参加してきます。
参加する集会には、被爆者、「障害者」の体験談、沖縄からの報告、在日韓国・朝鮮人被爆者からの訴えなど内容も豊富です。
8月6日は「原爆が落ちた日」ではなく、「原爆が落とされた日」であり、その時、何十万人が亡くなってもかまわない命だと決めつけられた日でもあるのです。でも、そういうところに持って行ったのは当時の日本の支配層、権力者だったということも忘れてはならないし、それを止めることが出来なかったのが私たちだったということも忘れてはならないと思います。
今年は3年ぶりに「8・6広島集会」に参加してきます。
参加する集会には、被爆者、「障害者」の体験談、沖縄からの報告、在日韓国・朝鮮人被爆者からの訴えなど内容も豊富です。
8月6日は「原爆が落ちた日」ではなく、「原爆が落とされた日」であり、その時、何十万人が亡くなってもかまわない命だと決めつけられた日でもあるのです。でも、そういうところに持って行ったのは当時の日本の支配層、権力者だったということも忘れてはならないし、それを止めることが出来なかったのが私たちだったということも忘れてはならないと思います。
Posted by つむぐ at 2008年07月31日 15:19
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。