ゴーヤー
2008年10月26日

『私の見立てでは、沖縄が全国化する最大の起爆剤となったのは、日本全国のスーパーでゴーヤが売られるようになったことである。それまでゴーヤは沖縄に行かなければ食べられない珍しい食材だった。ゴーヤが沖縄以外の土地で生産・販売され、ゴーヤチャンプルーなどの料理として全国の家庭の食卓にのぼるようになったのは、そう昔のことではない。1972(昭和47)年5月15日の本土復帰を前に、それまで沖縄から持ち出し禁止だったゴーヤの害虫のウリミバエの根絶作戦が始まった。不妊化したウリミバエを大量に放ち、それを交尾させることで淘汰させ、ゴーヤの害虫を全滅させる大がかりなプロジェクトだった。せん滅作戦は18年続き、放した不妊バエは3億匹にも及んだ。こうして沖縄本島のウリミバエは根絶され、1990年11月1日から沖縄のゴーヤは自由に本土に出荷できることになった。それは、ゴーヤが沖縄の特産品でなくなった瞬間でもあった。』
「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」(著・佐野眞一)より
私が沖縄を知り始めたのが2000年の沖縄サミット。それ以来、この8年間でなんども沖縄に渡り、基地や歴史を学ぼうと自分なりにやってきたが、ゴーヤーについては恥ずかしながら考えが及ばなかった。うちなーんちゅから『ゴーヤ』じゃなく『ゴーヤー』って伸ばすのよと指摘を受けたりしながら、でもそれがどのような苦労の末、私たちの食卓にのぼるようになったのかは知りませんでした。
Posted by つむぐ at 06:24│Comments(0)
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