自分史3=改めてC型肝炎闘病記その7

2009年01月24日


自分史3=改めてC型肝炎闘病記その7


8 肝炎患者会発足


 2004年2月、『ウィルスの量は11月はじめの検査からマイナスをキープしているが、この状態を維持させるためにも、認可されたばかりの新しいインターフェロン(ペグ・インターフェロン)による治療に入った方がいい。とりあえず、向こう一年くらいは続けたい』と主治医から告げられ、4月にそのための検査入院(15日間)を経た後、週一回の注射へと変わった。



 しかし、通院・注射が週に一回になったからといって、副作用が軽くなったわけではなかった。
前述したように、週三回の時は注射した当日が苦しく、翌日はケロッとするぐらいの「わかりやすい」副作用だったが、週に一回になったら一週間何となくふわーっとした副作用が続いていた。

週によっては身体の所々が疼いてどうしようもなくなるときもあった。
血小板は減少したままだし、白血球も基準値よりも少なく、好中球が減少し、「感染予防のための再入院もありうる」などと脅かされながらの毎日だった。貧血で倒れたことも二度ほど。
食欲がなくなり、連れ合いが作ってくれた「おかゆ」さえ手が伸びず、「この人はこのまま死んでしまう」と大泣きしていた連れ合いの姿もあった。


 通院中に知り合った同じC型肝炎患者の男性は「注射による副作用で気力がなくなった。体力も落ちた。家にいてもゴロゴロしているだけで、妻から『しんどかったら寝たらいいのに』と言われているが、寝るのもしんどい」と嘆いていた。

同感であった。


 その年(2004年)の5月のある日、新聞を見ていたら、肝臓に関わる医療講演会の開催案内が目にとまった。

連れ合いとその講演会に参加してみると、小難しい医学用語が会場に飛び交い、少々、カルチャーショックを受けたが、自分の目で肝炎、肝硬変、肝ガンに苦しむ人たちの多さに改めて驚いた。その流れで、7月下旬と9月中旬に肝炎患者の交流会が大津市内で開かれ、私も参加した。


 参加者は少なかったものの、病身を押して参加された人からはインターフェロン治療による副作用の厳しさ、辛さ、無理解による差別や偏見、高額の医療費、あるいは治療に入れない労働環境など、それぞれが抱えている悩みが次々と出されていた。


そして、「患者の交流会があれば、同じ悩みを持つ人と話すことが出来る。ぜひ続けていきたい」との声を受け、10月、大津市内で開かれた「肝臓病医療講演会」の終了後、別室で「滋賀肝臓友の会」が設立された。

参加されたのはB型肝炎、C型肝炎の患者とその家族で14名だった。

 会の設立以降、毎年5月と11月に講演会、また、二ヶ月に一度は患者交流会を開いている。年2回の講演会は基本的に日本肝臓学会認定の肝臓専門医を講師にした医療講演会としている。また、昨年(2006年)5月には薬害肝炎九州訴訟の原告である福田衣里子さんを招いて交流会を開いた。(以降、4回、滋賀に来ていただいている。)

 福田衣里子さんは当時27歳。
 自分が生まれたときにC型肝炎ウィルスに汚染された血液製剤(クリスマシン)を投与されて感染した。
 この交流会には薬害肝炎訴訟の弁護士も参加され、国・製薬会社の責任を問う裁判への支援が呼びかけられた。

この交流会終了後、参加者のほぼ全員がJR草津駅東口で肝炎患者会の紹介と薬害肝炎訴訟への支援を呼びかけるビラ配布と署名集めに取り組んだ。大きな感動を覚えた。

 また、隔月で開いている患者交流会は、お茶とお菓子を囲みながら、それぞれが抱えている悩みや不安を出し合い、意見や情報を交換できる、ホッとする空間作りに努めている。

 単純計算だが、県内には肝炎ウィルスに感染している人が30000人以上いると言われている。
 それを考えるとわずか十数人からの小さな小さな出発・船出だが、患者同士が手をつなぐことの大切さを実感できるものにしていきたい。現在の会員数は60名。

 幸い、2006年10月からは三ヶ月ごとの採血のみになったが、再燃する確率がゼロ%になったわけではない(主治医の弁)ので、一生、自分の身体と向きあっていきたい思っている

 最後に、肝炎という言葉を聞いても、文字を見ても、やはり自分自身の身に降りかからないと自分事にならないのは一面仕方ない。だが、あなたの周りに必ず肝炎に感染している人がいるし、感染していることを知らずにいる人もいることを知ってほしい。


 あなたが感染しているかも知れない。

タグ :肝炎自分史


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