Nさん、ありがとうございました。

2009年05月16日

Nさんから、私がこだわっていることに対して、理路整然としたコメントをいただきました。


すべてがすべて同意するわけではありませんが、この問題であまり精力を使うのも疲れますので(相手が相手なので)、こだわりすぎないようにしたいと思います。Nさん、本当にありがとうございました。


挑発に乗らないようにさせていただきます。


私のコメントへの返信を、こうしたひとつの記事にしていただいて、申し訳なく思います。
さて、「どう思われたか」との話ですが、何からお話していいのやら分かりませんので、一つ一つ整理してみます。

まず、「美人云々」という話ですけれども、見たところ、あちらのブログは個人のブログのようです。
ブログは不特定多数のものが閲覧できる状態にありますけれども、「個人ブログ」という性質上、公共性のあるものではありませんね。だからといって、何でも発信していいのかという話にはならないのですけれども、本件の場合、主観的に思うことを表現する方法として「美人」という言葉を使うことには問題はないものと思います。
公共性のある、たとえば新聞社や法人、企業のブログなどでの扱いは分かりませんけれども、少なくとも個人のブログはその個人の発信内容は尊重されるべきであり、思想信条や表現の自由と言論の自由が認められている以上は、個人の主観的表現は個人ブログにおいて認められなくてはならないと思います。

以上のことから、あちらのブログの件名を含む表現には問題はないでしょう。
テレビや新聞などと違って、個人のブログなどは世の中にたくさんあるので、情報の閲覧は自分で選択できるわけですから、自分に有用な情報だけを読み取り、嫌な思いをした場合は、今後そのブログを見なければいいだけのことです。
個人ブログに、個人的な感情を用いて異論を唱えたとしても、それは相手の捉え方によっては、考えの押し付けとされる場合が多いですのでご注意ください。


「考えすぎでしょうか?」という質問に関しては、あるひとつの表現に人はいろんな捉え方をするので不思議ではないのですけれども、そういったことまで配慮して記述すると、本当に伝えたいことや伝えなければならないことが全く伝わらない事態が発生します。その結果、何も伝えられなくなってしまうでしょう。

世の中のありとあらゆる問題も、言論の自由を失うことで訴えることは不可能になります。このブログであっても、人によっては差別だとする人も出てくるでしょう。
そういう要素というのは、発信している本人の気付かないところにも、確実に存在するものです。
ですので、客観的みて、本件を「美人という表現が差別を生む」と捉えるのは考えすぎだといえます。
美人といわれて嬉しくなる人もいれば、それを聞いた別の人が差別を受けたと思うかもしれませんが、だからといって、美人と発した人は悪いとするのはいかがなものかと思いますし、本件はそういった話の流れだと思います。


ちなみに、本件のブログの記事のように、特定の人を捕まえて、「美人」と表現しても、「不美人」と表現する人はいないでしょう。予断ですが、人を判断するのに、人それぞれ重要視する部分があり、そのひとつとして「美人」という見方があるわけで、それを「差別だ」とするのも、その人の思想信条の自由を妨げる行為であると思います。「美人」はひとつの表現として、認められるべき言葉だと私は思います。


「あちら系の圧力団体か?」という件で、フィンランド語でも怒っていらっしゃいますけれども、残念ながら私にも分かりかねます。ただ、話の流れからして、どういう団体のことを指しているのかはある程度の察しが付きますが、不確かなことですので、私の口から申すのは控えさせていただきます。


客観的に、本件のやり取りには、以上のような見方ができるわけですけれども、「あちら系の圧力団体か?」については私としましても、つむぐさんにはいわれのないことだと思いますね。その言葉にはどういう意図があるのか、発した本人でないと分からないでしょうけれども、話の前後から見て一種の挑発だと思われますので、こちらに付きましても、あまり深く考えないほうがよろしいかと思いますよ。


それから、言い忘れるところでしたけれども、日々の活動頑張ってください。また来ます。








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