感動です
読み終えた
2011年03月21日

連合赤軍の評価は別にしての話です。
私が13歳の時、京都大学の学生が
当時の佐藤首相のベトナム訪問を実力で阻止しようと闘い、亡くなりました。
私が14歳の時、佐世保エンタープライス寄港阻止闘争
王子野戦病院阻止闘争、10・21国際反戦デーがありました。
新聞は連日、こういった記事が踊っていました。
私が15歳の時、東大安田講堂での攻防がありました。
この時、ブルーライトヨコハマが流行していて、
そういった社会の流れの中で高校受験の毎日でした。
私が16歳の時、近くの神社で
野球をしていたときに飛び込んできたニュースが
赤軍派によるハイジャック。
私が18歳の時、働いていた小さな印刷工場の
休憩室で観ていたあさま山荘での死闘。
膳所や石山、大津の「事件の当事者」が
テレビや新聞で大写しになっていました。
良いも悪いも
同じ時期をたどってきた自分史と重ね合わせています。
社会主義・共産主義社会を求めて闘う際に
社会変革・革命は民衆の力によってなしえる
という基本的なことを忘れ去ってしまった
行き着くところまで行ってしまった
間違った思想と行動により
本来同志であるべき多くの命を
奪った事実は消すことが出来ません。
腰痛の再発で
ピリピリしていたこの一週間でしたが、
何とか読み終えることが出来ました。
私が13歳の時、京都大学の学生が
当時の佐藤首相のベトナム訪問を実力で阻止しようと闘い、亡くなりました。
私が14歳の時、佐世保エンタープライス寄港阻止闘争
王子野戦病院阻止闘争、10・21国際反戦デーがありました。
新聞は連日、こういった記事が踊っていました。
私が15歳の時、東大安田講堂での攻防がありました。
この時、ブルーライトヨコハマが流行していて、
そういった社会の流れの中で高校受験の毎日でした。
私が16歳の時、近くの神社で
野球をしていたときに飛び込んできたニュースが
赤軍派によるハイジャック。
私が18歳の時、働いていた小さな印刷工場の
休憩室で観ていたあさま山荘での死闘。
膳所や石山、大津の「事件の当事者」が
テレビや新聞で大写しになっていました。
良いも悪いも
同じ時期をたどってきた自分史と重ね合わせています。
社会主義・共産主義社会を求めて闘う際に
社会変革・革命は民衆の力によってなしえる
という基本的なことを忘れ去ってしまった
行き着くところまで行ってしまった
間違った思想と行動により
本来同志であるべき多くの命を
奪った事実は消すことが出来ません。
腰痛の再発で
ピリピリしていたこの一週間でしたが、
何とか読み終えることが出来ました。
Posted by つむぐ at
11:50
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