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Posted by 滋賀咲くブログ at

大雨の中の5・15県民大会

2010年05月16日



昨日は5・15沖縄の日本「復帰38年」でした。


今回一緒に来た4人と朝一番に辺野古に入りました。



テントを守り続けているSさんと一年ぶりに再会しました。



時折強い風と雨で難儀しましたが、辺野古の浜に下り、鉄条網にくくりつけられた無数の平和のリボンの向こうで、米兵がデカい作業車で何かやっているのが見えました。


テントデでは具志堅徹さんから自然環境破壊であり、人殺しの基地建設を絶対に許せないし、許さないという気迫のこもった説明を受けました。



この後、うるま市石川の宮森小学校を訪れました。
1959年6月30日、ちょうど子どもたちがミルクの時間を楽しんでいたその時、米軍ジェット機が墜落炎上し、200名以上の死傷者が出ました。



休日の校舎の屋根下やグラウンドではサッカーに講じる子どもたちや保護者がたくさんおられました。



わずか51年前、はるか51年前と映るかはそれぞれ違いと思いますが、こんな惨劇が、数年前の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落炎上事件で起こっていたかもしれないと想像すると体が震えてきます。


なかよし地蔵に手を合わせました。



このあと、普天間第二小学校、宜野湾市役所を経て、県民大会がある宜野湾海浜公園へ。



次第に雨足が強くなり、島内を歩いてきた青年たちがずぶぬれになりながら会場に入って来ると、なぜか涙が出そうになりました。



レンタカー会社で借りた傘を差し、157円のレインコートを身につけても、ズボンは腰までずぶぬれで、濡れた靴下が足首を締め付けていました。


本来なら、その日の夕方、別の会場で開かれる集会にも参加する予定でしたが、ひどい雨に疲れた仲間がいたこともあり、宿泊先のホテルまで帰還しました。



夜、ホテルのレストランで食事をとっていると、本島中部に大雨警報が。


部屋の窓に打ちつける雨が強い。



ドボドボの雑巾状態になっているズボンをドライヤーで気持ちだけ乾かし、今日の普天間基地包囲行動へ。



あ、そうそう。ラジオでこんなことを言ってました。


「5月15日は『本土では』復帰の日として祝ってるかもしれないけれど、沖縄はどうなんだろう。この現実を見れば複雑ですよね」と。





追伸
コメントをいただいている夏茜さん、滋賀に帰ってからお返事を差し上げます。
  


Posted by つむぐ at 05:58Comments(0)