11人が38人に
2007年11月22日
もっと早く、初期の段階で患者本人に伝えられていたら、助かった命はたくさんあるはずです。
肝炎がどんな病気なのか、どんな感染ルートで、何が原因なのかを知っている厚生労働省がこのデータを放置していたことは、まさに殺人です。
国が肝炎患者を見殺ししたのです。
自分に全く責任がないところで感染させられ、それを治すのにばく大な医療費を自己負担させられ、筆舌に尽くせない副作用と闘い、でも完治できる保障もない。そんなC型肝炎患者が、自分が感染させられていることすら知らない人を含め200万人いるといわれています。
みんな自分とは関係ないと思っていると思います。
私もその一人でした。
でも、私の潜伏期間は40年です。子どもの頃の注射器の不衛生な連続使用が原因だと言われてますが、それも今となっては定かではありません。第一、その頃の学校のデータもないし、かかりつけの診療所は代が変わっているし。
今日、夕方、大阪で肝炎患者と薬害肝炎訴訟の原告、そして弁護団支援団体による決起集会があります。
緊急集会
「切り捨ては許しません~薬害肝炎の全面解決のために」18時から エル大阪にて
その前に、16時30分に中之島公会堂前に集合して、
田辺三菱製薬本社まで抗議のパレードがあります。
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09:09
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伊江島その4
2007年11月21日
島を包む風が何とも言えない。
お目当ての湧出へ。
60mの断崖絶壁の下には湧出(わじい)とよばれるわき水が滾々とわき出てて、
戦争の真っ最中でも、島民はこの水で飢えをしのいだという。
展望台から眺める東シナ海はとてつもなく碧い。
下へと続く曲がりくねった細い道を下りて、メットを脱ぎ、しばし、風に吹かれていた。
気が付けば、あんまし時間もないことに。
このあと、使われなくなった伊江島空港の横を原チャで伊江港へとひた走り。
ちなみに、伊江島空港は沖縄海洋博の時に造られたが、採算が合わないという理由ですぐに廃港になった。
じゃ、なぜ造ったかというと、海洋博の開会や閉会時、天皇が来るときに、那覇空港から沖縄自動車道などを利用してくるまで移動すると時間がかかるし、その間にテロ、ゲリラにでも遭遇すると大変なので、直接、一番近い伊江島に空港を造り、那覇空港から伊江島空港まで飛び、伊江島からは対岸の本部までフェリーで移動するという計画のために無理無理造られたのだそうだ。
無駄にも程がある。
そ
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16:29
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伊江島その3
2007年11月20日
ここには伊江島が米軍の艦砲射撃で虫食い状態になったときの遺品などが所狭しと展示されています。
なかでも、入り口を入って、右側に展示されてある遺服には涙がこぼれてきます。
お母さんが子どもを抱いて逃げているとき、米兵に子どもごと銃剣で突き刺され、抱いていた子どもが地面に落ちて亡くなったという物で、その時の血痕や刺され引き裂かれた跡が生々しく残っています。
この日は、伊江港に到着して、すぐにレンタバイクを借りて島内を走りました。
ゲンチャに乗ったのって、何年ぶりだったか。いやあ、久しぶりの快感。
伊江ビーチでほんの少しのんびりと。ちょうど引き潮だったんで、
瞬く間に肩まであった海水が膝までに。
彼女は元スイマーなので、こういうところに来ると水を得た魚のように生き生きとしている。
でも、あんまし時間もなかったので、次の場所へと急ぎました。
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05:37
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いまから
伊江島その2
2007年11月18日
タッチューがそびえています。
南イタリアをほんのちょっぴりイメージしたのか、伊江港のターミナルビルが変わっていました。
ま、それもいいか。
いよいよ伊江島へ。
この島に来るのは何回目になるんだろう。
阿波根昌鴻さんの反戦平和資料館やニィヤティヤガマ、団結小屋なんかをめぐり、タッチューの頂きから島全体を見渡し、この島が沖縄戦を凝縮した島だということが少しわかったような気がします。
でも何度でも訪れたい島です。
Posted by つむぐ at
07:36
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