ミャンマー
2008年05月18日
昨年の10月19日と20日の記事で紹介した、私の知人、在日ミャンマー人女性。
今月のサイクロンによって、南部の河口周辺に大規模な被害が出たため、心配してメールを入れておいたんですが、返事がなかなか返ってこなかったので、いろいろ心配を巡らしていました。
偶然、国に帰っていて、サイクロンに遭ってしまったのか、甚大な被害にあった家族や親戚のために急きょ帰国されたのかなどなど、いろいろ考えていました。
先日、直にご自宅に電話を入れてみました。
すると、元気な声が。
「夕食後の洗い物が終わったところ」との返事にほっと一息つきました。
でも、彼女の話は、お母さんがヤンゴン(ミャンマーの首都)に住んでいて、屋根がそっくり全部、吹っ飛んでしまったとか。
3日前にやっと電話が通じたとか、川の上流から人間、水牛、山羊などの死体が次々と流れてきている。伝染病が広がってきた。私の知人も人命救助のボランティアをしただけで刑務所に入れられた。とかの生々しい話を続けられた。
ミャンマーの軍事政権は、人の命より自分たちの権力の方が大事なんだと嘆いておられました。
中国・四川省の大地震。規模が検討つかないほど、大災害になっています。
何かがあったとき、何よりもまず人の命を優先するかどうかで、その国の姿勢がわかります。
ミャンマーの軍事政権には人の命を優先する姿勢がないようです。
日本もそういう国になりつつありますね。いや、もうなっているのかな。
Posted by つむぐ at
05:18
│Comments(2)
何度も読み返してしまいました。
2008年05月17日
今日、仕事でネット調べをしていたら、こんな書き込みを見つけました。
読めば読むほど、心に響くというか、何かが落ちるというか、何度も何度も読み返してしまいました。
↓
-最近あなたが手をつないだのは、いつ、どこで、だれとですか?-
病院の待合室に、70歳はとうに越えたかと思われる夫婦が、手をつないで入ってきた。
瞬間、待合室の静かなざわつきが停止した。
手をとりあった老人の微笑(ほほえ)ましい姿を見たのは久しぶりのことだった。
しかし、その手をつないでいる意味は、仲睦まじいことだけが理由ではなかった。
おじいさんは片方の手で杖をついていた。
そして、おばあさんの介添えで、やっとのことで椅子に腰を降ろしたおじいさんは、
「あとは看護婦さんに頼むから。◯時になったら迎えにきてくれよ」と小声で言った。
ふたりの手は「ささえる」ためにあった。
手と手が触れ合うという行為は、「つなぐ」に関わらず、ある意思を相手に伝えるひとつの手段でもある。
私は、人前で、手をつないで歩くのが未だに気恥ずかしいと思っている。
だから町で手をつないでいる男女を見ると、、どうしてもつい好奇の目で見てしまう。
思えば、私が異性の手を握ったのは高校時代のスポーツ祭でのフォークダンスと、
仕事に就いてから覚えた社交ダンスのときだけで、
特定の人の手を特定の場所で握った経験は記憶のなかにない。
その後、私が意識して人の手に触れたのは、道を歩いていたときの、まだ幼かった子どもの手ぐらいである。
しかしそれは、愛情表現というより、子どもの束縛のためだった。
子どもを歩道からはみださせないための、「つなぐ」というより「つかむ」という行為だった。
唯一意識して人の手を握ったのは、家人が危篤状態に陥ったときである。
映画やテレビドラマのそのようなシーンを見ていて、「泣かせる演技だ」だと可笑しくなったものだが、
いざその立場になると、自分も思わず家人の手を握っていた。
「時間の問題だ」と医者に言われて、する術(すべ)しか残されていないことが哀れでしかたがなかった。
過日、テレビで、60-年代の頃のある青春映画を観た。
偶然知り合った若い男女が、次のシーンで手をつないで町を歩いている。
ああ、恋人同士になったんだ、とそのワンショットでその後の二人の関係がわかる。
映画の基本のモンタージュの手法である。
しかし今日のこのような映画なら、手をつなぐというまだるっこい描写はしない。
次のシーンは、まちがいなくホテルの一室である。
しかもふたりはすでにベッドで抱き合っている。
日本映画の名作の一つに数えられる「遠雷」(監督・根岸吉太郎)では、
お見合いをしたふたりが、その帰りに何の抵抗もなくモーテルに寄る。
このシーンだけで、この作品(原作・立松和平)は大変な話題になった。
あえて言うなら、そこで使われた手の描写は「なでる」とでもいうべきか。
また、「橋のない川」(監督・今井正)の、子ども同士が手を握り合うシーンは、
衝撃的なほどの別な意味合いをもったものだった。
小学校の朝礼の席で、部落出身の男の子の手を、
隣に立っていた女の子が躊躇(ちゅうちょ)しながら握ろうとする。
その手の触れた男の子は嬉しくなってしまう。
しかし女の子は、男の子を好きになったのではなかった。
女の子はあとでこう告白する。
「部落の人の手は凍るように冷たいと家の人が言っていたので、本当かどうか確かめてみたかった」
-おててつないで のみちをゆけば
童謡「靴が鳴る」の最初の歌詞である。
手をつなぐとスキンシップしたくなるほど楽しくなってくる、と純粋な子どもの心を歌っている。
しかし、病院にきた老夫婦のように、私にももはや靴の鳴るような「おててつないで」が、巡(めぐ)ってくることはないに違いない。それならば、「ふれる」でもいい。「つかむ」でも「ささえる」でもいい。それらに、自分の意思を伝える手段として使える手が、まだ少しでも残されていることを祈りたいものだと思う。
あなたは大切な人と、最近、手をつなぎましたか?
Posted by つむぐ at
05:17
│Comments(2)
あぁあ
2008年05月16日
昨日は朝から、胃カメラ。
3年前からやり始めた、鼻からさし込む胃カメラ。
口からの胃カメラは、オエーッ てなり、評判が至極悪かったんだそうです。
私は口からの胃カメラを経験、体験することなく、いきなり鼻からの胃カメラだったので、口からの苦しさが分からないのですが、それでも、鼻の奥から食道を通って行くときの違和感はなんともいえません。
で、先生に無理を言って、
そのときの私の食道と胃の内部の写真、画像をもらいました。
画像をお見せしたいのですが、ちょっとグロテスクなので、公開するの、やめました。
逆流性食道炎になっています。軽症ですが。
それに、今回、ポリープを発見。
とりあえず、一週間後に良性か悪性かの結果を電話するわと言われて帰ってきました。
タグ :日々のこと
Posted by つむぐ at
12:45
│Comments(0)
いませんでした
2008年05月16日
昨日が沖縄にとって、一つの区切りの日だってこと、書いた『沖縄大好き』ブロガーさんはいませんでした。
なぜなんでしょう。
なぜなんでしょう。
Posted by つむぐ at
02:49
│Comments(0)