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Posted by 滋賀咲くブログ at

BBQオフ会

2008年05月06日







途中退席でしたが、昨年3月のBBQオフ会がウソのような賑わいで催されました。
参加者は30人ほど。
初めてお目にかかる方や滋賀咲く開設当初から懇意にしていただいている方など。


短時間でしたが、楽しいひとときを過ごすことができました。

幹事の花隊長さん、ぱんずさん
ありがとうございました。  
タグ :オフ会


Posted by つむぐ at 17:17Comments(15)

ブームの裏で・・・

2008年05月06日

105年前の1903年、大阪で政府主催の「内国勧業博覧会」が開かれました。
その中には、「学術人類館」が設けられ、アイヌ民族をはじめ台湾の先住民族、琉球(沖縄)人、朝鮮人、中国人などが集められ、生きたまま陳列されました。これを「人類館事件」と言います。




85年前の1923年、関東大震災では6000人もの在日朝鮮人や中国人などが差別にもとづくデマ(「井戸に毒を入れた」「騒動を引き起こす」など)で虐殺されたことは有名ですが、実は沖縄出身者も「日本語」を十分に離せなかったことを理由に殺されていたことがほとんど知られていません。




63年前の1945年、沖縄は「本土防衛のための捨て石」にされ、アメリカ軍からはもちろん、「味方」であった日本軍からも多くの住民が殺されました。そして、敗戦。施政権がアメリカ合衆国に売り渡され、「人間以下」の過酷な生活を強制しました。




38年前の1970年、沖縄出身の青年が東京タワーを占拠し、「日本人は沖縄のことに口を出すな」「沖縄のことは沖縄人に任せろ」「アメリカは沖縄から出て行け」と鋭い糾弾を浴びせた事件がありました。しかし、日本のマスコミはこの青年の行動をまともに取り上げず、社会から抹殺してしまいました。




36年前の1972年、「核抜き、本土並み復帰」の願いを踏みにじり、「在留米軍基地」の75%を沖縄に押しつけたままの「復帰無となりました。日本はその犠牲の上で「戦後の平和と経済復興」を謳歌してきました。




13年前の1995年、少女が3人の米軍海兵隊員に暴行される事件があり、大きな社会問題となりましたが、その後も次々と米兵がらみの凶悪な事件・事故が続いています。




7年前の2001年、滋賀県内の小学校で、エイサーを習っていた児童Aくんが同級生と些細なことで口論となり、その際、同級生から「おまえはエイサーをやっているから琉球人だろう」という、とんでもない言葉を浴びせられました。
滋賀・沖縄県人会を通じてエイサーや三線を習っていたAくんの両親も、同和教育に熱心な児童達の担任教師も、この発言が「明らかな沖縄差別発言だ」と沖縄出身者から問題提起されても、深刻な問題だととらえることができませんでした。
Aくんの親は「あんたは逃げられるかもしれないが、当事者の沖縄の人は逃げられないんだから、我慢しなさい」とAくんを「慰めた」と言います。また、一緒にエイサーを練習していた人権問題には活発に活動されている人も「私たちはウチナーンチュにウチナーンチュとしての誇りを取り戻すためにエイサーをやっているんだから、自信を持ちなさい」と、「励ました」とか。担任教師は「発言した児童もいい子なんです。だから問題ないんです」と重く受け止めていませんでした。


小学生の口から「琉球人」という言葉が出てくることが不思議であり、児童の周辺の大人が、日時用的に津かつていた可能性があります。また、口論やケンカなどは、できるだけ、相手を罵倒・攻撃するときって、潜在的に意識している差別が出てきます。例えば、「女のくせに」だとか、「障害者は黙っとれ」だとか。「おまえは琉球人だろ」と使うことで、相手を低く、さげすんでみた言葉を沖縄出身者は怒っているのに、Aくんの親や周りにいた関係者は受け止めなかったことは非常に憂うべきことだと思います。


まして、Aくんの親はその後、県人会の代表を誹謗中傷したり、この問題を重く受け止めた私を含めた有志に対し、「教育関係者から、あなたたちとの関係を断絶するように言われたので、もうつきあいません」みたいな文書を送りつけてきました。


さらに、Aくんの親はとある三線サークルの代表として、昨年2月、人権のステージであろうことか、「アイヌ民族の言葉も沖縄の言葉も日本の方言」などと言ってのけたのでした。私を含めた数名でこの発言も問題にし、質問書を主催団体に提出しましたが、主催団体は沖縄出身者を含めた6名の質問への回答を1年たった今になっても放置したままです。


アイヌ民族の言葉、琉球・沖縄人の言葉を「日本の方言」と断定することは、それぞれの民族の成り立ち、民族の生活、民族の誇りを認めない、「侵略国・日本」から見た、傲慢で差別的な見方だと言わなければなりません。


県内での沖縄差別はこれだけではありません。


大手の工場の男子トイレの壁に「沖縄人は沖縄に帰れ」と落書きされていたとか、体調を崩して公立の病院を受診した沖縄出身者に対し、看護師が「沖縄の人は日本語がお上手なんですね」と発言したとか、おみやげに渡した「ちんすこう」を「こんなもの食えるか」と言って、目の前でくずかごに捨てられたとか、自分の買春行為を棚に上げて、沖縄女性を蔑視・罵倒した男性とか・・・・・。


10年も20年も前の話ではありません。つい最近のことなのです。
「沖縄ブーム」の裏で、現実問題として、沖縄人を差別する意識が根強く残っていることに悔しくなってきます。


あなたにとって、沖縄とは何ですか。
  
タグ :沖縄


Posted by つむぐ at 15:52Comments(2)

またあとで・・・。

2008年05月06日








































ぼやけていますが、36年前、天橋立で撮った私です。



時間がないので、消えてしまった文章はまた後で書きます。

県内で起こった沖縄差別の事例を書いたんですが・・・。


また。



さあ、きょうはオフ会です。  模様替えをすませ、行ってきます。


  


Posted by つむぐ at 05:06Comments(0)

さあ、なんて応える?

2008年05月05日









































一度だけお話しすることができた、むぬかちゃーをしている那覇市在住の女性が次のように新聞などでコラムを書いています。



沖縄には日本(本土)から年間500万人を超える観光客が来るそうだ。

バニラシェイク色の手足、日焼けではれた皮膚、半ズボンからむき出しの足に揺れる黒いすね毛。

赤い唇。細い目。なまりのある大きなうわずった声。目深にかぶる帽子。日傘。サングラス。雑誌にのってる服。アイロンのかかったシャツにズボン。ノーネクタイ。肩の落ちたアロハシャツ。握りしめたガイドブック。カメラ。おどおどして同時に傲岸な目つき。組んだ足。発音の違う沖縄語。台風が来ると怒る。曇ると怒る。交通マナーを守らない「わ」ナンバー。勝手に子どもの写真を撮る。葬式の写真も撮る。


「沖縄がすき。癒される」。どこにでも入れる魔法の無料チケットみたいに言う。
いつも思うんだけど、この人たちは沖縄から帰ったあと何をしているんだろう。
「ねえ、どうしているんですか? 沖縄から帰った500万人が国会議事堂に直行して座り込めば、沖縄の基地は一挙になくなりますよ。沖縄が好きなんでしょう。基地をなくしてくださいよ。そしたら、もっといい沖縄になりますから」。


何回か聞いてみたことあるけれど、みんなシーンとなっちゃうんだよね。「沖縄が好きなら、基地を一つずつ、持って帰ってもらえませんか」と言うときもそう。ま、まさか、基地のある沖縄が好き? えっ、まじ?


もし、基地があるのがお好きなら、どうぞ、テイクアウトでお願いします。




また次のようにも。


よく言われることですが、「沖縄問題」というのは沖縄の問題ではなくて、日本人の問題です。
沖縄に基地を押しつけているのは悪い日本政府がやっていて、悪い政治家がやっていること。自分は手を汚していない。私は普通にいい人だ。そう思って生活しているのかなと思います。

私だって沖縄で、自分のことをいい人だと思いたい。でも基地を許していることで、沖縄の基地から湾岸にもアフガニスタンにもフィリピンにも行っているし、他の地域を破壊してそこの人々を殺すことを受け入れている。結局、見えない暴力を行使している。沖縄に基地を押しつけている政府を替えることができていない責任の問題とか、基地は身近になくて、「恐怖を味会わなくてすむ」という利益を享受していることについて、どれだけ自覚しているのか。日本人の友だちと話しても、「いや私何も悪いことはしていない」、といわれる。何もしていないことが暴力を行使していることになるのではないかと言っても、なかなか通じない。

  
タグ :沖縄


Posted by つむぐ at 17:17Comments(0)

関心事

2008年05月05日


沖縄全般、


薬害含む肝炎問題、


足利事件をはじめ多くのえん罪事件


一人でも加入できるコミュニティ・ユニオン


手話






毎日毎日変化のあるような日常を送っていないので、ここらへんから書き続けていきたいと思っています。






  


Posted by つむぐ at 05:05Comments(0)