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Posted by 滋賀咲くブログ at

迷った末に。。。。。

2008年06月10日

1日の「お買い物」にコメントいただいた方、ありがとうございました。


言葉足らずのせいで、私の思いが不十分に伝わっているようで、また、娘の名誉にかけて、反論させていただきます。




>>たまに拝見していますが、相変わらずな事を書かれていますね。




でも、いきなり冷ややかなトゲのある書き出しで、びっくりしました。でも、これは私のブログですし、誰か特定の個人を誹謗・中傷したわけではありません。自分の思い、考えを書いたまでです。




>>しかし、貴方の記事には、インドネシアにあるバリ島に娘さんが新婚旅行に行くと、5月20日に楽しそうに書かれていましたが、同じ事では無いのでしょうか?



確かに5月20日の記事に「バリ島云々」と書きましたが、その部分だけを取り上げて、娘がバリ島に新婚旅行に行くとは断定していませんし、実際に娘はバリ島には行きません。あの部分は、私と娘の「ぼけとつっこみ」という駆け引きでしかありませんし、そういう駆け引きを楽しんでいるといったほうが性格だとは思いますが・・・。
私は全くバリ島のことを歴史をも含めて知りません。知らないと言って開き直っているのではなく、今まで知ろうという機会がなかったという方が当たっています。チベットの問題もまだまだ勉強のど最中ですし、ミャンマーについても、ネパールについても・・・。バリ島の歴史などを知らずに「バリ」と「夕張」をかけて「遊んでいた」ことが、バリ島の方々に失礼だとしたら、今後気をつけたいと思います。
しかし、話のモトは「バリ」ではないことぐらい理解しています。



>>人それぞれ理由が有っての事です。あまりそういった事は書かない方が良いのではないですか?



そうですよね。人それぞれです。いろんな理由で、都合で、思惑で、計画で琉球・沖縄を訪れられますよね。
そんなことは百も承知しています。すべての人に基地問題を考えろとか、自然破壊を考えろとか、書いたつもりではありません。言葉足らずで誤解が生じたならお許し願いたいのですが。仮に基地反対を「叫ぶ」人が10人いても、10人すべてが同じ温度であるわけがないのです。
部落差別や障害者差別、女性差別にしても、そういう差別をなくしていこうという関わり方には温度差があるのは当たり前のことです。「沖縄」についても。それぞれいろんなとっかかりやきっかけ、動機があるはずです。観光で行ったとしても、帰るときにはあのフェンスの向こう側はどうなっているんだろうとか、Yナンバーって何だろうとか、ほんのすこしでも考えることが必要なのではないかといっているだけで、すべてを否定しているのでは決してありません。


でも、忘れてはならないことはあるはずです。


私たちの税金で米軍兵士がのうのうと豊かな暮らしをしていることに、疑問を感じられませんか。
沖縄は慢性的な水不足に陥る土地です。でも、米軍基地の中は水が使い放題だということに疑問を感じられませんか。
家賃が何十万という「基地外住宅」のその家賃を補助しているのは私たちの税金だということに疑問を感じられませんか。
「9.11テロ」の直後、沖縄の米軍基地を護衛したのは自衛隊だったということに疑問を感じられませんか。
「9.11テロ」の直後、沖縄への修学旅行のキャンセルが相次ぎました。理由は「そんな危険なところに子どもたちを行かせることはできない」というものでした。しかし、現にその場所で生活している沖縄の人たちは危険じゃないのでしょうか。自分は「安全な場所にいて、危険を沖縄に背負わせる」行為に疑問を感じられませんか。
ジュゴンが棲息する辺野古沖、大浦湾をコンクリートで埋め立て、原子力潜水艦まで着岸できる巨大な軍事空港を作ろうとしていること、そして、それを非暴力で、話し合いで、建設の中止を迫っている人たちに海上自衛隊の母艦が威嚇のために出動したことに疑問を感じられませんか。
海上保安庁の船が、非暴力で、話し合いで基地建設の中止を求めている人たちが乗るボートやカヌーに突撃、襲撃してくることに疑問を感じられませんか。
私も下地島の「通り池」、一度は見たいと思っています。でも、その下地島の空港が軍事利用されようとしていることに疑問を感じられませんか。





>>そう言った事は書かない方が・・


そう言った事ってなんでしょうか? 
それはなぜ、書かない方が いいのでしょうか?


私には抽象的すぎて、理解できません。




でも、こういうやりとりは基本的に不公平だと思っています。


私はあなたがどなたかも知り得る情報を持っていません。



一方通行で、私が逆にあなたのところにおじゃまできない、否、反論できない「安全な」場所におられて、他人のブログにコメントを書き込むことはやめていただきたいと思います。



私のこの拙いブログでも、コメントを書き込んでいただいている方々は、実際にお会いし、食事をともにしている方々やそれぞれのブログを紹介しあっている方々ばかりです。


ですので、このやりとりはこれで終りにしたいと思います。

今後、このような形でコメントを寄せていただいても削除させていただきます。  


Posted by つむぐ at 18:00Comments(0)

命日

2008年06月09日




今日、6月9日は母親の命日。



59で逝くなんて、早いよ。

  


Posted by つむぐ at 18:04Comments(0)

辺野古に基地はいらない

2008年06月09日

2005年12月から始めた、草津駅前での「辺野古に基地はいらない滋賀行動」。
7日で60回目を迎えていました。


この日は滋賀行動の大先輩である「大阪行動」が200回目を迎えたそうです。


いつものメンバーで、2時から3時半まで、横断幕を張り出し、パネルを展示。チラシを配りながら辺野古新基地建設の中止を求める署名を集めました。


修学旅行で沖縄に行ってきたという学生さんや子どもさんが沖縄で働いているというお母さんらと話しをすることができました。



次回は21日(土)。午後2時から3時半までです。

  
タグ :沖縄


Posted by つむぐ at 06:09Comments(0)

蟹工船

2008年06月08日


『蟹工船』は1928年10月18日から1929年3月30日にかけて完成され、プロレタリア芸術運動の機関紙『戦旗』の5月、6月号で発表された小林多喜二、25歳の時の作品です。




1933年2月20日、築地警察署で虐殺された小林多喜二。





その『蟹工船』がいま、爆発的に売れている、読まれているらしい。



このあいだ、テレビでもショート話題になっていました。

  


Posted by つむぐ at 06:08Comments(0)

素直に喜びたい・・・・が

2008年06月07日

昨日、アイヌ民族が日本の先住民族だということが国会で決議されました。


決議の中には「差別され、貧窮を余儀なくされた歴史的事実を厳粛に受け止め」との一文もあります。


それにしても、遅いです。


わずか11年前までアイヌ民族を「旧土人保護法」という差別政策の下に縛りつけておいた政府の責任はもっと明らかにするべきだと思います。そして、それは同時に、「旧土人保護法」の撤廃のために何もしなかった私たち、あるいはそんな差別的な法律があることすら知らなかった和人自身が責任をとらなければならないことだと思います。


しかも、現在進行形で、「アイヌ史資料集」という差別図書がでまわっていて、アイヌの人たちが図書の回収と著者・河野本道の謝罪を求め続けています。


この差別図書は、アイヌの人たちがどのような病気でなくなったのかという病歴・死因を本人に承諾もなしに資料として集め、無断で販売したものです。


皆さんのおじいさんやおばあさん、ひいおじいさんやひいおばあさんの名前が実名で載り、どんな病気でなくなったのか、しかもその病気は固有の伝染病だというありもしないデマを書き並べて本になって売られていたら、どう思いますか。


「部落地名総鑑」・・・被差別部落(同和地区)の住所はそこに住んでいる一人一人の思想信条まで調べ上げた本が売られ、それを採用選考などに使っていたとして、県内の大手の企業も指摘され、問題になっていますが、これのアイヌ民族版ともいうべき、卑劣な差別図書が出回っているのです。許せないことです。



アイヌと滋賀県。関係が意外と深いことにもびっくりです。

「滋賀県の歴史」(山川出版社)の中には次のような記述があります。

寛永二(1625)年ころ、・・・・・・(略)。
これより以前、波濤をこえ、船を北へむけた人びとがいる。柳川村(彦根市柳川町)の建部七郎右衛門や八幡の岡田八十次・西川伝右衛門らは、蝦夷地へわたった。当時の蝦夷地は先住民族であるアイヌ民族と松前氏が支配する渡島半島の松前・江差などに和人が生活していた。この蝦夷地には、多くの水産物があり、これを上方へ持ち込めば巨利を得られることはいうまでもない。利を見極めることに機敏な近江商人のうち八幡・柳川(両浜商人)の人たちは稼ぎの場を北にむけた。・・・・(略)。
近江商人の進出は、米作未成立の蝦夷地における松前藩の特殊な知行制度にかかわって成立していった。もちろん、他国の商人たちも進出していたが、近江商人たちは松前藩で信用を獲得することができ、天明六(1786)年の記録では富商17人のうち11人までが近江商人で占められていたとのことである。・・・・(略)。

北海道の主要な都市である函館・小樽・札幌などは近江商人により開かれた、といっても過言ではない。渡島半島の日本海側の町や小樽周辺の町を正月に歩くと京都や滋賀でも少なくなった形の松飾りや軒先や室内にみられる。近江商人がもちこんだ生活習慣がそのまま根付いたものである。しかし、このことが結果として、アイヌ民族固有の伝統文化をとりあげていくことになったことをわれわれは忘れてはならない。




  


Posted by つむぐ at 10:10Comments(0)