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Posted by 滋賀咲くブログ at

中日新聞で自己紹介

2008年04月03日

過日、中日新聞滋賀面で、事前にインタビューを受けていた記事が掲載されました。
いつ掲載されるかわからなかったのですが、当日、出勤してきた同僚から「でっかく載っていたでえ」と言われ、逆にビックリしました。で、あわてて、新聞を確認。
「ドッヒャー。歳いっとるなあ、このオッサン」





 薬害肝炎訴訟で議員立法による救済が実現したが、肝炎患者とその家族でつくる「滋賀肝臓友の会」代表の◯◯◯さん(54)は「まだまだ救われない人たちがいる」とさまざまな活動を続けている。「県内で血液製剤フィブリノゲンょ投与された人が約3000人とも言われている。感染を知らない人がいる。自分の体に関心を持ってほしい」と訴える。

 友の会は2004年10月、14人で発足。2ヶ月に1回集まり、患者交流会を続けた。薬害肝炎訴訟への支援を訴え、ビラ配りをしたり、各方面への啓発活動に努めた。会員は50人以上に膨らんだ。◯◯さんが職場の健康診断で肝機能障害を指摘されたのは02年12月。検察を重ね、翌年3月に大津市の病院で医師に告げられた。「C型肝炎の太鼓判を押す。そやな、このままなら10年やな」。
 生まれつき心室の壁に穴があいている「心室中隔欠損症」。40代半ばまでしか生きられないと言われていた。その40代半ばを「何とか超えた」と思っていた直後の宣告だった。 感染原因は予防接種の注射針だと推測しているが、今も分からない。「生きたい。生まれつきでない病気で死ぬのが悔しい」。9月から入院しての治療が始まった。
 初めての薬を注射。副作用は2時間後にきた。インフルエンザのように急激に発熱し、右手に持ったマグカップを離せないほど、体中が震えた。副作用は体力も奪った。体重は1ヶ月で10㌔減った。シャツが肌に触れるだけでピリピリと痛みが走った。トイレでしゃがむのに苦労し、立ち上がることも容易でない。情けなくなり、トイレ個室で一人泣いた。差し出されたおかゆを食べるだけの力も出なかった。
 そんな生活を送っていた04年5月、新聞で肝臓病医療講演会の案内を見つけた。大津市の会場に足を運んだ。「インターフェロン」「GTPが…」。医療用語が飛び交い、何を言っているのか理解できない。だが、「あの人も、あの人も、あの人も苦しんでいる」。同じ苦しみを味わっている人たちの声を聞き、「仲間やな」という感情がわいた。
 講演会で知り合った二人が計画していた友の会設立計画に加わった。準備を通じ、辛さから電車のホームから飛び込み自殺しようとした女性に出会った。治療を断念した人もいた。「自分の責任じゃないのに」。
 議員立法による救済が実現したとはいえ、全員が救われるわけではない。「私は対象外。悔しいが、関心は高まった。損した気分じゃない。救済法で肝炎問題が終わったわけじゃないんです」。これからの道のりは長い。
  
タグ :肝炎


Posted by つむぐ at 17:00Comments(0)