この広告は365日以上更新がないブログに表示されます。  

Posted by 滋賀咲くブログ at

オオスズメバチ

2009年06月08日




体長5cmほどの巨大なハチが、夕方帰宅したら客間のカーテンに引っかかってました。



最初はその大きさに、かぶと? せみ?



よーくみると、なんとハチじゃないですか!



デカイッ!




背中からそうっと近づき、ビニール袋に捕獲。庭に移動してすばやくハチコロリを噴射。



あえなく、画像のように息絶えましたが、それにしてもあまりにもデカいのでネットで検索すると、なんとオオスズメバチだと。




後から震えが来ました。



どこから進入したんだろう?
  


Posted by つむぐ at 21:55Comments(0)

私と足利事件

2009年06月08日




1994年、足利事件が既に東京高裁の控訴審に入っていたとき、ひょんなきっかけで「菅家さんを支える会・栃木」の女性(のちに菅家さんの身元引受人になられました)と連絡を取り合うことになり、事件についての詳しい資料を送っていただきました。



当時の私は、新聞販売労働組合の活動をとある新聞に連載していましたが、その新聞を読んでおられた方から連絡をいただきました。それがその方です。



そして、こんなむちゃくちゃな捜査、そして裁判がまかり通るなんて、絶対におかしいと感じました。


冤罪事件と言えば狭山事件というくらいしか思いつかない私でしたが、実際に、こんな冤罪が起こっているなんて、ショックでした。


そして、早速、その年(1994年)の10月29日、足利市内で開かれた「支える会・栃木の定例会」に飛び込み参加させていただきました。



「支える会・栃木」は1994年4月、この事件に疑問を持った女性2人で立ち上げられていました。


その後、1996年6月、遅ればせながら、「支える会・滋賀」を立ち上げました。
そして、その年の8月、現地調査に参加しました。


多くの疑問、矛盾が目の前で確かめることが出来ました。


パチンコ店の駐車場で声をかけ、自転車の荷台に載せて運動公園に連れて行ったこと。
夕暮れ時に知らない中年男性についていく女の子が居るのか。
殺害方法が自供と司法解剖とが違うのはなぜか。
などなど。



1997年6月、足利市内での現地調査の翌日、東京拘置所に収監していた菅家さんと初めて面会することが出来ました。


彼の目は優しくて、一目見て「菅家さんはやっていない」と直感しました。
それ以降、手紙のやりとりや滋賀の会員で面会に行ったりしていました。


彼が千葉刑務所に移送される直前、届いた彼の手紙には次のように書かれていました。




「無罪で釈放されたら琵琶湖のある滋賀を案内してくださいね」と。



菅家さんを支える会・滋賀(http://enzaiashikaga-shiga-saku.net/)  
タグ :足利事件


Posted by つむぐ at 06:15Comments(0)