へそまがり
2007年08月18日
子どもの頃、親の手を引っ張って連れて行ってもらったことがある、地域の有名な神社。
昨日もお祭りごとがあり、出店が並び、花火で盛り上がったとか。
この神社にはヤマトタケルノミコト=日本武尊が奉られている。
子どもの頃はそんなことはどうでもよくて、リンゴ飴、金魚すくい、綿菓子なんかで勝手にテンションをあげていればよかったし、花火のあげ方、開き方に一喜一憂して満足していた。
しかし、日本武尊ていうのを調べると、今までの無知が恥ずかしくなった。
大和朝廷が、今風に言えば、日本各地で「番を張っていた」集団や細々と生活を営んでいた集団(南九州の熊襲、関東以北の蝦夷など)を武力やだまし討ちで屈服させ、「平定」していった武勇伝を時の権力者に都合のいいように脚色した「日本書紀」に出てくる日本武尊。
この実在しない人物を祭神として祭り上げる考え方からは、本当の歴史が見えてこないのではないか。
地域のいろいろな祭礼すべてを否定するわけではないが、地域のさまざまな慣習や行事の中に潜んでいる、あるいは隠されている「強者の論理、世界観」を直視していくことが大事なのではないかと思う。
そんな細かいこと、とりわけ子どもに関係ないだろうとおっしゃるかもしれませんが、世の中が、いや、国の進路が右へ右へとハンドルを切っていく中で、たとえ、些細なことでも「それちょっとおかしいやん」と声を上げていくことが大切なんではないでしょうか。
実際問題、歴史の改ざんが行なわれようとしているし、歴史の改ざんに必死になっている人たちがいます。
重ねて言います。
些細なことからでも「おかしいことにはおかしい」と声を上げること
これって 民主主義の基本のき なんではないでしょうか。
昨日もお祭りごとがあり、出店が並び、花火で盛り上がったとか。
この神社にはヤマトタケルノミコト=日本武尊が奉られている。
子どもの頃はそんなことはどうでもよくて、リンゴ飴、金魚すくい、綿菓子なんかで勝手にテンションをあげていればよかったし、花火のあげ方、開き方に一喜一憂して満足していた。
しかし、日本武尊ていうのを調べると、今までの無知が恥ずかしくなった。
大和朝廷が、今風に言えば、日本各地で「番を張っていた」集団や細々と生活を営んでいた集団(南九州の熊襲、関東以北の蝦夷など)を武力やだまし討ちで屈服させ、「平定」していった武勇伝を時の権力者に都合のいいように脚色した「日本書紀」に出てくる日本武尊。
この実在しない人物を祭神として祭り上げる考え方からは、本当の歴史が見えてこないのではないか。
地域のいろいろな祭礼すべてを否定するわけではないが、地域のさまざまな慣習や行事の中に潜んでいる、あるいは隠されている「強者の論理、世界観」を直視していくことが大事なのではないかと思う。
そんな細かいこと、とりわけ子どもに関係ないだろうとおっしゃるかもしれませんが、世の中が、いや、国の進路が右へ右へとハンドルを切っていく中で、たとえ、些細なことでも「それちょっとおかしいやん」と声を上げていくことが大切なんではないでしょうか。
実際問題、歴史の改ざんが行なわれようとしているし、歴史の改ざんに必死になっている人たちがいます。
重ねて言います。
些細なことからでも「おかしいことにはおかしい」と声を上げること
これって 民主主義の基本のき なんではないでしょうか。
Posted by つむぐ at
10:57
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