案ですが
2007年08月25日
滋賀咲くには、私も含めて、沖縄に関心がある方が結構おられるようです。
沖縄の自然、文化、歴史に魅かれて、年に何度も旅する方もおられるようです。
そこで、まだ案なんですが、沖縄好きブロガーの集まりを持てないかなという案です。
といっても、カッタクルシイものではなく、そう、沖縄ファン倶楽部のようなもの。
適当な時期に、沖縄オフ会を開いて親睦や交流、情報交換ができたらいいなと思うんですが、いかがなものでしょうか。
南草津には沖縄料理のお店があるし、甲西駅前には沖縄館がオープンしたし。
集まれるところはあると思います。
ご意見、ご感想をお聞かせください。
沖縄の自然、文化、歴史に魅かれて、年に何度も旅する方もおられるようです。
そこで、まだ案なんですが、沖縄好きブロガーの集まりを持てないかなという案です。
といっても、カッタクルシイものではなく、そう、沖縄ファン倶楽部のようなもの。
適当な時期に、沖縄オフ会を開いて親睦や交流、情報交換ができたらいいなと思うんですが、いかがなものでしょうか。
南草津には沖縄料理のお店があるし、甲西駅前には沖縄館がオープンしたし。
集まれるところはあると思います。
ご意見、ご感想をお聞かせください。
Posted by つむぐ at
17:09
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バンゴハン
2007年08月24日
で、まず、ゆばふじさんでおからと豆腐を買い、猫の餌をかかりつけの動物病院で買い、コーナンで猫のトイレの砂を4袋買い、行きつけのスーパーで枝豆とビールを買い、帰宅して食事を取るのが20時をまわっていました。
Posted by つむぐ at
21:42
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沖縄館が紹介されてました
2007年08月23日
まちの話題
沖縄出身者の“駆け込み寺”
「沖縄館」新装オープン 湖南市
昨年から閉館していた「滋賀沖縄館」が今月、湖南市のJR甲西駅前に新装オープンしました。代表の高間悦子さん(54)は「沖縄の歴史と文化、現状を知ってもらいたい」と話します。
新しい沖縄館は、これまで同様、沖縄県人会の事務局をかねた「沖縄出身者の駆け込み寺」。同時に沖縄の歴史を学び、文化を継承する館です。物産販売では、おなじみのちんすこう(菓子)やポーク館缶など、すべて沖縄から直接仕入れているため、スーパーの物産店などより安いのも魅力。シークァーサージュースも堪能できます。
これまでと違うのは、食堂がなくなったこと。「食事しながらでは学習しにくかったんです。今回はしっかりとできる」と高間さん。毎月学習会を計画しており、第一回目は15日に沖縄の歴史を知ろうとビデオを上映。来月7日の沖縄の終戦記念日には、沖縄戦などを学ぶ予定です。
県内の沖縄出身者は、ダイハツ工業など工場への派遣労働者が多く、2000人以上と言います。昨年の閉館後も、高間さんには様々な電話がかかりました。「多くの人が病んでいます。憲法9条を守っていくために一緒に頑張りましょう。めんそーれ(いらっしゃいませ)」とよびかけています。沖縄館(0748-72-5813)
8/26付 滋賀民報
この記事中の写真、右から二人目が私、つむぐです。わからないと思うけど。
Posted by つむぐ at
08:45
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大分合同新聞より
2007年08月21日
薬害肝炎九州訴訟 実名公表した福田さん講演

「薬害肝炎訴訟を支える会・大分」で講演、出版した手記を手にする福田衣里子さん
約50人が参加し、福田さんの話を熱心に聞いた
国は責任を認めよ―。薬害肝炎九州訴訟で実名を公表している数少ない原告の一人、福田衣里子さん(26)=長崎市=が十九日、大分市内で講演した。突然、感染を知らされ、戸惑い苦しんだことや、訴訟の中でわいてきた使命感などを、ときに笑顔を交えて語った。

福田さんは、出生直後、出血を止めるために投与された血液製剤「クリスマシン」で感染したとみられる。感染が分かったのは二十歳。「いつ結婚しようか、どんな職業に就こうか、夢を多く語っていたときだった。死に至る病気だと分かり、恐怖を感じた」と振り返った。
肝炎のインターフェロン治療は、高額な医療費がかかる上に、副作用も少なくない。福田さんは二度目の治療でようやく数値が改善されたが、完治ではなく、定期的な検査はずっと欠かせない。「出産は大丈夫なのか、治療自体に副作用はないのか」など将来への不安は残ったままだ。
「治療だけでもきついのに、裁判はきついし、怖いとも思った。そんな中、家族でもない人たちがチラシを配り、裁判を支えている姿に感激した。つらい話を聞いてくれる人ができた」―。訴訟を通じ、多くの人に出会ったことで心強く感じたという。
現在、全国に三百五十万人の肝炎患者がいるという。「安心して治療できるよう国に責任を認めさせたい。自分の中でのみ込んで解決するのでなく、つらくても声を上げ、社会に訴えなければ」と実名公表に至った気持ちを話し、「肝炎にかからなければつまらない人生だったかもしれないとさえ考えることができるようになった」とほほ笑んだ。
九州訴訟弁護団の佐木さくら弁護士は、「四地裁の判決では国の責任を認めているにもかかわらず、厚生労働大臣はいまだに患者に会おうとしない。係争中に病状が進み、死亡する原告もいる。国は早期に、和解に向けた交渉のテーブルに着いてほしい」と訴えた。
薬害肝炎訴訟
汚染された血液製剤が原因でC型ウイルスに感染したとして、国や製薬会社に損害賠償を求めている訴訟。5地裁、4高裁で係争中。7月31日の名古屋地裁判決は、クリスマシンなど3種類の血液製剤について、国や製薬会社の法的責任を初めて認めた。
九州訴訟は、福岡県などの10人が2003年4月、国と製薬会社に対し提訴。06年8月、1980年以降に血液製剤を投与された原告について、国と製薬会社に賠償義務があると認定。国と製薬会社、原告ともに控訴している。原告は県内の20歳代女性も含む51人。
(大分合同新聞より)
福田衣里子さんを囲んでの交流会を
9月16日(日)南草津の草津市立市民交流プラザ(フェリエの5階)で
開きます。
肝炎に関心のある方はぜひお越しください。
心よりお待ちしております。

「薬害肝炎訴訟を支える会・大分」で講演、出版した手記を手にする福田衣里子さん
約50人が参加し、福田さんの話を熱心に聞いた
国は責任を認めよ―。薬害肝炎九州訴訟で実名を公表している数少ない原告の一人、福田衣里子さん(26)=長崎市=が十九日、大分市内で講演した。突然、感染を知らされ、戸惑い苦しんだことや、訴訟の中でわいてきた使命感などを、ときに笑顔を交えて語った。

福田さんは、出生直後、出血を止めるために投与された血液製剤「クリスマシン」で感染したとみられる。感染が分かったのは二十歳。「いつ結婚しようか、どんな職業に就こうか、夢を多く語っていたときだった。死に至る病気だと分かり、恐怖を感じた」と振り返った。
肝炎のインターフェロン治療は、高額な医療費がかかる上に、副作用も少なくない。福田さんは二度目の治療でようやく数値が改善されたが、完治ではなく、定期的な検査はずっと欠かせない。「出産は大丈夫なのか、治療自体に副作用はないのか」など将来への不安は残ったままだ。
「治療だけでもきついのに、裁判はきついし、怖いとも思った。そんな中、家族でもない人たちがチラシを配り、裁判を支えている姿に感激した。つらい話を聞いてくれる人ができた」―。訴訟を通じ、多くの人に出会ったことで心強く感じたという。
現在、全国に三百五十万人の肝炎患者がいるという。「安心して治療できるよう国に責任を認めさせたい。自分の中でのみ込んで解決するのでなく、つらくても声を上げ、社会に訴えなければ」と実名公表に至った気持ちを話し、「肝炎にかからなければつまらない人生だったかもしれないとさえ考えることができるようになった」とほほ笑んだ。
九州訴訟弁護団の佐木さくら弁護士は、「四地裁の判決では国の責任を認めているにもかかわらず、厚生労働大臣はいまだに患者に会おうとしない。係争中に病状が進み、死亡する原告もいる。国は早期に、和解に向けた交渉のテーブルに着いてほしい」と訴えた。
薬害肝炎訴訟
汚染された血液製剤が原因でC型ウイルスに感染したとして、国や製薬会社に損害賠償を求めている訴訟。5地裁、4高裁で係争中。7月31日の名古屋地裁判決は、クリスマシンなど3種類の血液製剤について、国や製薬会社の法的責任を初めて認めた。
九州訴訟は、福岡県などの10人が2003年4月、国と製薬会社に対し提訴。06年8月、1980年以降に血液製剤を投与された原告について、国と製薬会社に賠償義務があると認定。国と製薬会社、原告ともに控訴している。原告は県内の20歳代女性も含む51人。
(大分合同新聞より)
福田衣里子さんを囲んでの交流会を
9月16日(日)南草津の草津市立市民交流プラザ(フェリエの5階)で
開きます。
肝炎に関心のある方はぜひお越しください。
心よりお待ちしております。
Posted by つむぐ at
11:53
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4年前の日記から
2007年08月19日
「わが子の結婚式に出席した。自分自身、結婚式をあげていないし、今まで結婚式に参加した回数もわずか2回しかない。
今回は新郎の父親として出席。主人公でもないのに、緊張と不安がこれでもかこれでもかと押し寄せてくるのがわかる。式そのものは30分ほどで終わったが、感覚としては2、3時間の長丁場のような感じだった。
彼には父親らしいことをしてやれなかった。その彼の結婚式に立ち会えるなんて、自分の寿命を考えてもありえないと思っていたので感無量だった。
ホテルの敷地内に併設してある小さな教会。記念撮影の背景に広がるマリンブルーの海と天高く澄んだ青い空。ぽっかり浮かんだ白い雲が最高のロケーションを演出してくれた。
那覇空港のロビーで時間待ちをしていると彼からメールが届いた。『来てくれてありがとう。薬、忘れんなよ。身体、大事に』。まわりには人待ちの人や沖縄土産をどっさり抱えた人がいっぱいいるのに、なぜかとめどなく涙が溢れてきた。メールには『来年にはおじいちゃんになるよ』とも書かれてあった」
2003年11月25日、この日を忘れない。
C型慢性肝炎の治療の真っ最中でもあったこの頃。主治医と相談の上、前日の朝にインターフェロンを注射し、午後の便で那覇へ。翌日の午後の便で那覇を発ち、27日の朝に病院へとバタバタしていたが、彼の結婚式に出席したことがつい昨日のように思い出される。
今回は新郎の父親として出席。主人公でもないのに、緊張と不安がこれでもかこれでもかと押し寄せてくるのがわかる。式そのものは30分ほどで終わったが、感覚としては2、3時間の長丁場のような感じだった。
彼には父親らしいことをしてやれなかった。その彼の結婚式に立ち会えるなんて、自分の寿命を考えてもありえないと思っていたので感無量だった。
ホテルの敷地内に併設してある小さな教会。記念撮影の背景に広がるマリンブルーの海と天高く澄んだ青い空。ぽっかり浮かんだ白い雲が最高のロケーションを演出してくれた。
那覇空港のロビーで時間待ちをしていると彼からメールが届いた。『来てくれてありがとう。薬、忘れんなよ。身体、大事に』。まわりには人待ちの人や沖縄土産をどっさり抱えた人がいっぱいいるのに、なぜかとめどなく涙が溢れてきた。メールには『来年にはおじいちゃんになるよ』とも書かれてあった」
2003年11月25日、この日を忘れない。
C型慢性肝炎の治療の真っ最中でもあったこの頃。主治医と相談の上、前日の朝にインターフェロンを注射し、午後の便で那覇へ。翌日の午後の便で那覇を発ち、27日の朝に病院へとバタバタしていたが、彼の結婚式に出席したことがつい昨日のように思い出される。
Posted by つむぐ at
09:55
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