私と足利事件
2009年06月08日
1994年、足利事件が既に東京高裁の控訴審に入っていたとき、ひょんなきっかけで「菅家さんを支える会・栃木」の女性(のちに菅家さんの身元引受人になられました)と連絡を取り合うことになり、事件についての詳しい資料を送っていただきました。
当時の私は、新聞販売労働組合の活動をとある新聞に連載していましたが、その新聞を読んでおられた方から連絡をいただきました。それがその方です。
そして、こんなむちゃくちゃな捜査、そして裁判がまかり通るなんて、絶対におかしいと感じました。
冤罪事件と言えば狭山事件というくらいしか思いつかない私でしたが、実際に、こんな冤罪が起こっているなんて、ショックでした。
そして、早速、その年(1994年)の10月29日、足利市内で開かれた「支える会・栃木の定例会」に飛び込み参加させていただきました。
「支える会・栃木」は1994年4月、この事件に疑問を持った女性2人で立ち上げられていました。
その後、1996年6月、遅ればせながら、「支える会・滋賀」を立ち上げました。
そして、その年の8月、現地調査に参加しました。
多くの疑問、矛盾が目の前で確かめることが出来ました。
パチンコ店の駐車場で声をかけ、自転車の荷台に載せて運動公園に連れて行ったこと。
夕暮れ時に知らない中年男性についていく女の子が居るのか。
殺害方法が自供と司法解剖とが違うのはなぜか。
などなど。
1997年6月、足利市内での現地調査の翌日、東京拘置所に収監していた菅家さんと初めて面会することが出来ました。
彼の目は優しくて、一目見て「菅家さんはやっていない」と直感しました。
それ以降、手紙のやりとりや滋賀の会員で面会に行ったりしていました。
彼が千葉刑務所に移送される直前、届いた彼の手紙には次のように書かれていました。
「無罪で釈放されたら琵琶湖のある滋賀を案内してくださいね」と。
菅家さんを支える会・滋賀(http://enzaiashikaga-shiga-saku.net/)
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学習会と辺野古行動
2009年06月07日
昨日は、定例の「辺野古に基地はいらない滋賀行動」の日でした。
草津市人権センターで「自衛隊再編の要、ミサイル防衛の現状と私たちの課題」と題する講演学習会があり、それに参加したために、「辺野古行動」は、その後に行ないました。
講演学習会は、パトリオットミサイルはいらない!習志野基地行動実行委員会の吉沢弘志さんを講師に迎え、一時間でしたが、本当に詳しく、そしてわかりやすく、日本政府が狙っている防衛計画の裏側、真実を知ることが出来ました。
「北朝鮮によるミサイル」騒動で首都圏内でのミサイル防衛計画が、本当にずさんで、見せかけだけの配備だったこと、それも民衆の目をごまかす配備だったことを余すことなく暴いたおられました。また、秋田、岩手に配備されたものも、実弾はないと公言していた浜松基地から移動したものだったり、すでに本家本物のアメリカ政府でさえ、PAC3は用をなさないとして、すでに別の防衛計画に移っているのに、半径15kmしか防衛することが出来ないPAC3にしがみついている日本政府の愚かさもわかりました。それもこれも、軍事費を増やすためのものであるということも確認できました。
ただ、気をつけておかなければならないこととして、主権者であり、納税者である私たちが、国の動きに敏感にならなければ、戦争へ戦争へと既に梶を切っている、この国の進路に歯止めがかけられないとも強調されていました。
この後は、草津駅前まで移動して、「辺野古行動」でした。
いつもより人数が多い行動でした。
一時間で、ビラは500枚を配ることが出来ましたし、署名も57筆、集まりました。
大阪から来られていた参加者は、署名数の多さはビラの受け取りがいいのに驚いておられました。

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レベルアップ学習会2
2009年06月06日
昨夜は市社協主催の手話レベルアップ学習会の二回目。
「聴覚障害者の家庭生活」と題して1時間弱、お話がありました。
3年前、聴覚障害の男の子を里子として迎え、彼が自立して羽ばたいていけるように、頑張っておられる姿を手話講演で拝見しました。
そのあと、聴覚障害の子どもたちが通う聾学校で使われている『口形記号』を学びました。これは難しかったです。いや、難しいと拒否ってるだけかもしれませんが。
Posted by つむぐ at
05:44
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