この広告は365日以上更新がないブログに表示されます。  

Posted by 滋賀咲くブログ at

高校三年生の詩

2006年08月22日

今年6月22日から24日まで行ってきた沖縄。

6月23日は、沖縄戦の組織的な戦争が終了した日です。
正式には、9月7日の降伏文書の調印の日までは
戦争や友軍である日本軍の残党によって沖縄の人々が虐殺されていた事実はありますが・・・

沖縄の人々にとって、この6月23日は、特別な祈りと怒りの日です。
学校も休みにして、全島で、戦争とは、沖縄戦とはなんだったのか、
平和のために何をしなければならないのかを
全島で考える日になっています。

「本土」防衛のために沖縄を切り捨てた日本が
この6月23日を全く無視し続けているのには
悲しくなってきます。
歴代の首相が6月23日、この慰霊の日に
摩文仁の丘で催される「沖縄全戦没者追悼式」に参列します。
しかし、その読み上げる言葉は簡素で中身がなく、
いつも、失笑や抗議の声が上がっています。

それに比べ、那覇商業高校3年の
池 彩夏さんが読み上げた
平和の詩「若い瞳」には感動ものでした。


「若い瞳」

紺碧の大空に
照り付ける太陽の日差し
アカバナが揺れる坂道を
私は自転車でのぼっていく
額からふきだす汗を
グイっと袖でふきとって
ペットボトルに手を伸ばす
コポコポと音をたてて
喉を潤していく水に
米軍の戦闘機が映り
入道雲のかなたに消えてった
私はそれを横目で見ながら
ペダルに再び足をかけ
自転車をこぎだした

戦後61年
いまだに居据わる米軍基地は
私たちの生活になじんで
風景の一部となった
米軍の戦闘機は
耳をつんざく爆音を落とし
勝手気儘に飛びまわっている
いったいぜんたい
沖縄戦はどこに消えたのか
自転車のハンドルを握る手に
不思議と力が入る
本当に
本当に戦争は風化しているのか・・
もし風化しているのなら
なぜ私はこんなにも
我武者羅に自転車をこぐのだろうか
ただ米軍の戦闘機を見ただけで・・・・

強い逆風をうけながら坂道を下る
カーブを曲がるため
軽くブレーキをかけた
少しずつスピードが落ちていく
こんなふうに
時代の流れにも
ブレーキを使えたらいいのにと思う
もしかしたら
そのブレーキになれるのは
他ならぬ
私達のような若者なのかもしれない
私達が持っている瞳の光は
何よりも強く 真っ直ぐ
沖縄を見つめているのだから



この6月23日、沖縄平和学習ツアーで行った仲間は
一番にひめゆり平和祈念資料館に立ち寄りました。
私自身、この資料館は3度目なんですが、
第四展示室「鎮魂」は、200人以上の遺影が飾られていて、
立ちすくんでしまい、涙が止めどなくこぼれてきて、
事実をキチンと見なければという思いと
早くこの場から立ち去りたいという思いが交差します。
このあと、「沖縄全戦没者追悼式」の会場に向かったんですが、
炎天下、摩文仁の丘に通じる道は、
平和を願ってもくもくと歩き参加する人が一杯でした。

わたしたちのまわりをよーく見てみると
意外と危ない法律がこれでもかこれでもかというほど作られていますし、
これでもかこれでもかと次から次へと
より危ない法律が作られようとしています。

家事や育児、仕事に振り回され、追いかけられている
毎日で、ほんの少しだけ立ち止まって
世の中の動き、流れを考えてみることが
必要なんじゃないのでしょうか
自戒を込めて・・・  


Posted by つむぐ at 13:50Comments(0)