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Posted by 滋賀咲くブログ at

薬漬けの毎日に・・・

2010年10月29日


今週は、風邪引きと腰痛で、


ダウンの一週間でした。


25日のフィンランド語教室


26日の手話講座


休んでしまいました。


薬も、


朝8種類、


昼3種類、


夜5種類


薬漬けの毎日です。


マスクも離せません。


ま、それでも最悪の月曜日に比べれば


かなり良くなっているけれど・・・


久しぶりのダウンでした。


  


Posted by つむぐ at 23:24Comments(0)

狭山事件の再審を考える労働者の集い

2010年10月29日


1974年10月31日、
東京高裁寺尾裁判長は
無実の石川一雄さんに
「無期懲役」という、
差別に満ち満ちた判決を下してきました。


あれから36年、
石川さんは今も
「見えない手錠」をはめられたまま、
自らの無実無罪獲得のために闘い続けています。

1963年5月、
埼玉県狭山市内で発生した
女子高校生誘拐殺害事件。
いわゆる狭山事件。
この事件の「犯人」として
市内の被差別部落で生まれ育った石川一雄さんが
ただただ部落出身だという理由だけで
「犯人」にでっち上げられた。

警察は当初、身代金を取りに来た犯人を
大包囲網を敷いていたにもかかわらず
逃がしてしまうという大失態を演じ、

この事件の少し前に起こった
「吉展ちゃん事件」に続く
犯人取り逃がしに対して
社会的な批判が巻き起こり、
国会でも国家公安委員長が謝罪するという
大事件に発展しました。

メンツをかけた警察は、
「生きた犯人」を捕まえるという
つまり、でっち上げでも良いから
「犯人」を捕まえることを最大、最優先課題とし、
社会的に蔓延していた
「部落の者ならやりかねない」という
部落に対する差別意識を最大限煽り、
当時24歳の石川一雄さんを
甘言術策を弄して
犯人に仕立て上げてしまいました。


女子高校生誘拐殺害事件から47年。
東京高裁寺尾裁判長による差別判決から36年。


1970年代には、この事件が
労働者を分断する部落差別を巧みに利用した
差別事件・差別裁判だとして
労働者として、
労働組合として
石川一雄さんを無実で取り戻す闘いが展開されていました。
東京・日比谷公園に11万人を集めた
労働者と部落大衆の団結した集会が勝ち取られました。


私が狭山事件を知ったのは、1972年頃だったと記憶しています。
滋賀県内でも狭山事件を闘う人たちがいたことで
すんなりと行動をともにしていました。
あの頃は、自治労、全逓、全電通などの
青年労働者や滋賀大学の学生たちと
行動をともにしていました。


10月31日、奈良市内で
自治労奈良市従業員労働組合主催による
「狭山事件の再審を考える労働者の集い」が開催されます。

一人でも多くの労働者が集い、
なし崩し的に権利が奪われている
労働現場での
労働者の怒りと行動をつくっていきましょう。
  


Posted by つむぐ at 08:02Comments(0)