一番のお気に入り
2009年01月20日
2006年12月21日に貼った画像。
先月12月8日、急死したケンの陶酔した画像である。
ケンの画像(写真)は他にもいろいろあったんだけど、
これには腹を抱えてしまう。
ありがとう。
もうじき、49日だね。
Posted by つむぐ at
20:54
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自分史3=改めてC型肝炎闘病記その3
2009年01月20日
4 いよいよ
そして、2003年9月1日、いよいよインターフェロン(薬品名・イントロンA=筋肉注射による抗ウィルス剤)とリバビリン(薬品名・レベトール=経口の抗ウィルス剤)併用による治療に突入。
前知識として、インターフェロンを注射すると2、3時間後に猛烈な悪寒、高熱が押し寄せてくるとなっていたので、ある種「興味深く」待っていた。
そして、注射を打って3時間後だった。
寒気がしはじめたかなと感じたとたん、持っていたマグカップが猛烈なふるえで離せなくなる。
例えれば、怪奇映画のポルターガイスト状態か。
ベッドごと大きくきしむようなふるえがしばらく続いた。
しかし何日か過ぎると、この症状にも慣れてきて、落ち着いてくる。
左右の上腕部と左右のお尻と、ローテーションを組んで打つ筋肉注射。
それに伴う副作用(肌着と皮膚がこすれたり、髪の毛を触るだけで体中に針が刺さったように敏感になったり、上半身だけ掻きむしりたくなるような発疹が続いたり、頭痛、口内炎、食事がのどを通らなくなったり、氷枕や座薬で熱を下げたり、全身の筋肉痛のためにトイレに行っても力むことができない、しゃがんだ後立ち上がれないなど、その場面その場面ではきつく、耐えられなくなって泣いたこともあったが・・・)も、今から思えば何となくクリアーしたようだ。だが、もう二度と味わいたくない。
また、わずかばかりの入院生活でも、インターフェロン治療中の肝炎患者のほとんどがそうであるように、確実に体力・筋力が落ちていった。入院中、片道1㎞のところにある琵琶湖岸まで散歩に行くにも、途中で投げ出したくなるほど歩けなくなっていた。
これはショックが大きかった。
9月下旬に退院してからは週3回(月・水・金曜)の注射、隔週1回(木曜)の採血と診察という病院通いの日々が、翌2004年3月末まで続いた。通院日が休日と重なっても救急外来で注射。12月31日も1月2日も通院して注射だった。
注射の日は朝一番に通院して、その後に勤務に就くというパターンだが、その日の午後から副作用が襲ってくる。
パソコンのキーすら打てなくなるほどの脱力感や筋肉痛に悩まされ、声を殺して、両腕を抱えてうめいていた。
買い物に行っても、食料品店のフロアーで動けなくなり、うずくまってしまうことが何度もあった。
そして、体重も入院前と比べると10㎏減った。
この年の11月25日、息子の結婚式が沖縄・読谷で開かれた。
24日、朝一番に駐車に病院へ行き、午後、関空から沖縄へ飛び、翌25日、息子の結婚式へ。
26日、午後那覇を飛び立ち、27日の朝一番に病院へという、体力的にはかなり無理な、強行スケジュールを組んだこともあった。疲れが出たのか、27日の午後は体温が急上昇していた。
だが、体力的なこともさることながら、息子の結婚式に立ち会えるなんて、自分の心臓病のことを考えると想像していなかったので、感無量で胸がいっぱいだった。その息子にも、子どもが2人できた。つまり、孫。おじいちゃんになるとは・・・。
(つづく)
Posted by つむぐ at
01:20
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