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Posted by 滋賀咲くブログ at

若い頃の想い出。

2009年01月25日

今日は少し、いや、かなり話題を変えて。



私が芸能人というか、タレントさんに興味が出たのはこの人がきっかけでした。


ま、中学生の頃、グループサウンドブームがやってきて、やれタイガースだ、ヴィレッジ・シンガーズだ、ブルーコメッツだ、と騒いではいましたが。

中学三年の秋は、テレビから流れてくるニュースに釘付けになっていました。機動隊の放水を浴びながら「なんで大学生があそこまで突っ込んでいくのか」という疑問符とともに。そして、ご多分に漏れず高校への受験勉強がそれなりに。友だちの家に勉強しに行くと言って出かけては、ぐっすり寝てしまったりもしていました。
その頃流行していたのは、いしだあゆみさんの「ブルーライトヨコハマ」。
この歌を聴きながら、それなりに受験勉強したことを思い出します。



そうそう、この頃はラジオのリクエスト番組が盛んで、よくはがきを書き込んだこともありました。


そして、高校受験。希望の高校ではなかったのですが、ま、基礎学力が身についていなかったので、合格しただけでもよしとしていました。でも、それも、わずか一週間で中退。別に、タバコを吸ったとか、暴力行為を働いたとかではなく、親父が倒れてしまったので、仕方なくでした。担任の先生やクラスメートが自宅まで来てくれて、「何とかならないのか」と話したこともありました。


で、自営業(牛乳販売)の手伝いの毎日が過ぎていく頃、当時、日本テレビ=よみうりテレビ系列で放映されていた「ひげとたんぽぽ」という連続ドラマをなにげに見ていたら、ある家族のやんちゃな次男坊が、踏切の向こうにたつ少女に恋をしてしまうというストーリーだったんですが、その少女に興味がわいてしまいました。登場はその1回限りでした。


それが、二年後、「奥様は18歳」で大ブレイクした岡崎友紀さんでした。


しかも、同い年。


今は、いろんな社会活動にも参加されておられるようです。


いつまでたっても、その頃の岡崎さんのイメージのまま、私の心の中には残っています。



あ、そうそう。「ひげとたんぽぽ」の主題歌、歌詞は忘れましたが、放送から40年たった今でも、メロディは何となく覚えています。




  


Posted by つむぐ at 09:00Comments(0)

やんばる高江からのアピール(転載)

2009年01月25日

さる1月20日、那覇市の県庁前ひろばで沖縄県東村高江地区に建設しようとしているヘリパッドに抗議する集会が開かれました。

そのときの高江の住民の方のアピールを「やんばる東村 高江の現状」から転載させていただきます。 


高江からのスピーチ
●「国の弾圧許さぬ ヘリパッド抗議に500人」『沖縄タイムス』09年1月21日。
昨日は、沢山の人たちが、那覇の集会に集まってくれ、国際通りを一緒にデモしてくれました。有難うございました。集会のときにお話したことを以下に転載します。


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皆さんこんばんは。

 私は高江にすむ○○と申します。6年前に家族で嘉手納町から高江に移り住んできました。最初に高江にきた時の印象ですが、自然がとても豊かで沖縄本島にこんなにすばらしい場所がある事を知り、自然が自然のままで残っている事にとても感動しました。「小川のせせらぎを聞きながら暮らしたい」というのが、かねてからの夢でもありましたので、まさにその通りの場所に出会えた事が嬉しくて仕方ありませんでした。

 自然の中で暮らす事で私たちはこの自然に生かされているのだという事を日々実感しながら、今もなお自然から沢山の事を心と体で感じ学んでいます。

 そして、私には5人の子供がいますが、子供たちは夏は毎日のように川で泳ぎ、寒くなってもそこら中を裸足で走り回り、虫を追いかけたり、魚やエビ、カニ等を捕まえたり、木の葉っぱや枝等で色んなものを作ったりしながら、とてものびのびと生き生きとしています。あえて私たちがあれこれ教えなくても自然の中で大切なことを沢山学んでいます。

 それと同時にとても残念な事にこのすばらしい環境の中には米軍の北部訓練場があるという事も知りました。私たちのすぐ真上を低空飛行でヘリコプターが飛び交います。あまりの騒音にとても驚きました。嘉手納に住んでいた頃よりもその騒音はひどく、窓ガラスまでも揺れています。

「今、あのヘリが墜落したらどうしよう」
ヘリのドアが開いているのも下からでも見えたので、「何かヘリから落ちてくるかもしれない」等の不安に毎回襲われます。高江で初めてヘリの爆音を耳にしたとき子供たちは一斉に私のもとにかけより、泣き出しました。あまりの対照的な状況に違和感を憶え、ただただ驚くばかりです。

 そんな中更に6カ所のヘリパッドが人口160人の高江区を囲むようにできると一昨年の2月に新聞報道で知りました。施設局側からはできた場合どのような訓練をする事になるのか等の具体的な説明は一切なく、こちらの質問にも今現在も答えてもらえません。

私たちの暮らしはこれからどうなってゆくのだろう?
子供たちの安全は守られるのだろうか?

 毎日今以上の騒音と更なる危険に怯えながら暮らしていかなければいけないのだろうか?等、とにかく不安で仕方ありませんでした。
もし、新しくヘリパッドができてしまったら、この場所がいくらすばらしくても、子供たちを危険にさらしながら暮らしていく事はできません。高江を離れる事も考えました。しかし、出て行く事は簡単だけれど、それで本当に解決するのだろうか?

 こんなすばらしい場所で戦争の訓練をしている事の恐ろしさ、ここで訓練をした兵隊たちがイラク等他国で罪のない人たちを沢山殺しているという現実を知り、どう考えても耐えられない事で何一つ正しいと思える事がありません。

 今現在もガザでイスラエル軍により、罪のない子供たちや女性、民間人が沢山殺されています。昨年イスラエル軍が北部訓練場を視察にきています。これは私たち高江区民だけの問題ではないとはっきりと分かったのです。

私たちの静かな暮らしを守りたい。
子供たちを守りたい。
豊かな自然を守りたい。
沖縄を守りたい。
そして、戦争は絶対に嫌だ。

 こんな当たり前の同じ気持ちを持つわずか高江区の4世帯の家族で、ヘリパッド建設工事に反対する座り込みを始めました。今では、4世帯が6世帯になり、また、県内外国外からも同じ気持ちの方々が集まって一緒に座り込みをしてくれています。高江区でも反対決議を2度しています。

 そんな当たり前の私たちの主張が今回の仮処分命令申し立てと言う形で、8才の少女を含む15名が国と施設局から訴えられたのです。

国というのは国民である私たちを守ってくれるのではないのでしょうか?
国って一体なんなんでしょうか?
何が何なのかさっぱりわかりません。

 ただ一つ言える事は私たちは決してまちがったことはしていないと言う事です。

 審尋の日を1月27日に迎えますが、自信を持って胸を張り私たちの主張を訴えていきたいと思っています。




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高江からのスピーチ2
昨日の県庁前ひろば集会でお話した高江からのスピーチ、もうひとつ、転載します。

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やんばるの森にヘリパッドはいらない、と工事現場入り口前に座り込みを始めて、1年半になります。

北部訓練場の約半分の返還は歓迎でありますが、過密な訓練場になることは間違い有りません。しかも防衛省はいっさい明かにしませんが、96年SACO最終報告草案にオスプレイ配備は明記されていました。日本側の反対で削除されているのです。県民にオスプレイ配備を隠したまま、辺野古や高江に犠牲を押しつけようとするものです。

ぜったいに許すことは出来ません。

沖縄県民の負担を軽減するというSACO合意ならば、「ヘリコプター着陸帯を返還される区域から、北部訓練場の残余の部分に移設する」という文言は削除すべきであります。

自分たちの住んでいる周りに6箇所のヘリパッドができることを、考えて下さい。
反対するのは当たり前のことです。喜んで迎える人がいるでしょうか。

住民の声を聞かず、一方的に押しつけてくる沖縄防衛局こそ、無法者です。

私たちの行動は、国があきらめるまで続けます。
どうか皆さん、共に頑張りましょう。   
タグ :沖縄


Posted by つむぐ at 07:46Comments(0)